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エッセイ:幼少期に龍騎を観た衝撃

 僕が小学校低学年の頃に「仮面ライダー龍騎」は放送されました。この作品は幼い僕にとって強く記憶に残る作品……どころか、龍騎を観てからが記憶の始まりである気すらするほどに衝撃でした。
 児童向け作品などを卒業し、家庭用ゲームやカードゲームに夢中になり始め、アンパンマンに対して「勧善懲悪なんてくだらない」と厨二病の初期症状のような思考になったのを覚えています。そんな時に、子どもたちの間で「今回の仮面ライダーはマジでヤバいらしい」と噂が広まります。

 「って言っても仮面ライダーって子供向けだろ?」「違うんだって話も大人向けで複雑なんだよ」「正義のはずのライダー同士が戦うんだよ」と教室内はざわめき、既に視聴している子供たちは机と机の間に手を乗せて浮き上がりながら「ファイナルベント」と叫んでキックの真似事を行う。
 これは、流石にただ事ではない。話を聴いているだけでも「ファイナルベントってなんだ。響きがカッコ良すぎるだろ。ライダーキックじゃないのか」「カードデッキなんてものがあるのか。男の子の欲しい物を理解しすぎだろチクショウ」と、今まで龍騎の存在を知らなかったことを激しく後悔する。
 急いで帰宅すると、早速今では今ではレトロ扱いのPCで、インターネットでの龍騎の扱いを検索する。実にイヤな子供だが「本当に大人向けなら大人も騒ぐはずだろう。そうじゃないならクラスの奴らは話を盛っている」と踏んで、インターネットの大人たちが龍騎について語っているか調べることにしたのだ。
 ……結果は更に興奮を与えました。
 どこを見ても大人たちが「ライダーのあり方」について熱く語り、「ライダー同士が戦うとはどういうことか」「正義とは悪とは」「これはおジャ魔女観てる場合じゃねえ!」と大論争を繰り広げている。「ファイナルベント」をネタにしたFLASHまで作られており、小学校だけでなく大人のコミュニティも龍騎に熱くなっている事実は、その瞬間に僕をオタクにしてしました。

 「こんな深い作品が実際にあるのか……!?」と動揺し、レンタルだか友達に借りただかで、急いで龍騎の1話を再生する。サスペンスな序盤の画面はとても薄暗く、鏡の世界から襲ってくるモンスターの存在がホラーに映り、これは子供がついてこれるか試しているのだ……いま僕はキン肉マンでトーナメントの参加者を絞るために行われる「振るい」にかけられているんだ! とオタク大興奮。

 クウガやアギトと違い、大胆にデザインを変更してきた龍騎にナイト、そしてグロテスクなモンスターたち、カード要素にライダーバトル。明るいギャグ多めの日常パートの裏で進行していく、サスペンスと濃厚なストーリー。
 そしてなにより印象的だったのは、「平和のために徹底的に戦いを止めようとする主人公」と「破壊のみに人生をかける異常な敵ライダー」の存在。
 当時は遊戯王が大ブームだったこともあり、どことなくダークなものが好きになっちゃうお年頃にとって、本来わかりやすい正義よりもとにかく強い悪の方が好きになるハズ。
 更に言えば龍騎は主人公ながら、何があっても戦いを止めようとする邪魔者でもある。斜に構えた小学生なら王蛇が最も好きなライダーになってもおかしくない。それかナイトだ。なのに……なのに、龍騎をこんなに好きになってしまっている。
 今まで観てきた作品ではヒーローはヒーローとして周囲から基本的に肯定されるのに対し、龍騎は時に正しすぎて異常な存在として周りから排除されようとする。これは確かに大人も正義とか悪とか話しちゃうわと納得する。そして段々と紐解かれていく作品の構造や「仮面ライダー」の意味。

 まだ一桁の年齢だった自分に、ようやく自我が芽生えた音がした。
 作品には意味や理由があり、それを受け手側が受け止め「考える」。それが視聴や読書なんだと理解が脳を駆けめぐる。
 なぜやらされているのか不明だった、読書感想文……ひいては国語の授業の意義。これが大人の世界なのかと、ただただ感嘆する。
 龍騎を通して、この世の構造をすべて学んだ気すらしてきた。

 もう、のうのうと授業を受けたりしている場合じゃない。世の中にある面白いものを摂取していく快楽より大切なものはない。ウルトラマンも見直そう。戦隊やおジャ魔女も観よう。ジャンプを毎週読んでみよう。とにかくなんでも吸収していこう。たった一度与えられたいのちはチャンスだから。
 こうして無垢な小学生は立派なオタクとなった。




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