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一口エッセイ:戸籍と母の夢と自分の死体

 いつまでもパスポートを取りにいけない僕を見兼ねて、プロデューサーが手続きを進めてくれている。おかげで、僕のもとへ沖縄の市役所から戸籍謄本が届いた。
 久々に母親の名前を見た。
 どうやら生きてはいるらしい。その上に義父の名前も記されている。そういえば義父の下の名前って知らないな。どうでもいいことか。今も僕は元の苗字を上書きされて憎き義父の苗字を名乗っている。心ではどんなに拒絶していようが、戸籍上はこの人の息子であり、同じ姓である。如何ともしがたい感情に包まれる。怒っても悲しんでも仕方がない。僕はただ日本以外の世界を見に行きたいだけで、もはや唯一血の繋がった家族も、唯一血の繋がっていない家族も、もうどっちだっていい。もしかしたら、ぽっくり死んでいるんじゃないかと覚悟していたほどだ。
 とはいえ、母に関して未練はあるらしい。夢に出てきた。母親が夢に出てくるとき、彼女は驚くほどにいつも通りに振る舞う。感動的だったり、意味深に説教をして道を示したりもしない。僕は僕で、まだ母親と二人で暮らしているのが当たり前のような感覚でいる。夢の中の母は、僕がちゃんと寝ていないことを心配した。僕は「今は打ち合わせがあるから仕方ない」とかなんとか言い訳をする。母はよく分かってない。僕の行動には一切の興味がなく、僕が眠れるかしか頭にないみたいだった。
 起きる。当然、現実の自室には誰もいない。今日はちょっと嫌なことが多く、ストレスがあったのか短い時間で何度も起きたり寝たりを繰り返してしまった。嫌なこと、といっても自分が悪いのだけれど。せっかくイベントに誘ってもらったのに、知らない人が多い場所が怖くて参加できなかった。けれども、本当は楽しみにしていたし、そこで新しい友達ができることを期待していた。10代の頃から憧れていた人たちも多く、それだけに粗相が怖くて断念した。その後悔が何度も襲ってきたので眠れなかったのです。
 ああ、友達が欲しい。
 もちろん、昔からの友達は今でも仲良くしてくれる。大変ありがたい。が、彼らは良くも悪くものんびりしている。それは時に大きな安心となり、僕の精神の支えとなってくれる。しかし、そんな良き友人とは別に、今の僕は、調子に乗って魂を削ってでも今後の活動に命を燃やすタイミングだ。そのような状況の仲間が欲しかった。けれども、単純に勇気が出なかった。なんと情けないことでしょう。
 そんな中、夢の中で母親は僕の不安もやる気も考慮せず、ただ「たくさん眠ってくれ」と告げるのだ。なんと分かりやすい存在だろう。実際の母親が放蕩息子に何を思っているかは知らないが、戸籍謄本にあった母親の名前を通して現れた、僕の中のお母さんの想い出は、努めて「安眠」の象徴だったのです。
 とはいえ、どうにもならないものはならない。パスポートの手続きが終われば戸籍謄本も処分するだろう。また数年は母親の名前を見ることもなくなる。再び記憶から消える。それだけでしかない。次の機会に両親の様子を見て、もし義父が死んでいたら母に顔を合わせに行く可能性は無きにしもあらずだが。仮定を妄想したとて仕方ない。母親の方が先に死ぬことだってあるだろうし。僕の精神が現世に耐えきれないパターンだってある。
 せっかくパスポートが手に入るのだから、死んだら形式的に日本で火葬は勘弁願いたい。ガンジス川で雑に焼いてもらえたら嬉しい。骨は適当に近所のガキの遊び道具や犬の餌にしてくれ。本来の意図と外れた日本の仏教観で葬式が開かれるのは、あまり気が進まないんだ。死体が発見されるまでは綺麗でいたいが、そのあとは「ただの肉と骨」でしかないと扱われる方がよっぽど死らしくていいと思うんだけどね。
 それにしても、なんで僕は死んだ直後の己の死体の行く末に、こんなに興味があるのだろう?

 昔から、この白骨となった人間の扱われ方が「正しい死後」のような気がしてならない。

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