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一口エッセイ:感性が減る薬を飲む意味

 米青ネ申禾斗へ通っていた時、僕の自閉症的な部分をいろいろ話した結果、とりあえず「社会に適合するための薬」を渡されたんですね。それを飲めば、いわゆる「社会人らしい」行動がとり易くなるわけです。事務作業に集中できたりとか。
 こういう薬もあるのかと副作用を見てみると、「感性が薄くなります」のような文が書いてある。同じ薬を服用している方のレポートを見る限りでも、やはり感性が鈍化するらしい。これはどういう感覚なのだろうと自分でも試してみますと、なるほど、アニメや音楽……いわゆる「文化」に対して、通常時より突き動かされる衝動が弱くなりました。これが「感性が薄くなる」ことなのか。
 毎日アニメや本を嗜むことだけが生き甲斐の自分にとって、これを飲んでいては人生の大きな損失になる。感性が薄くなることで得られる社会性ならば、そんなもの自分にはいっさい必要がない。ですので、僕はその薬は飲まなくなったのですね。
 そもそも「感性が薄くなる代わりに社会性が手に入る」って、緩やかなロボトミー手術とイコールではないのか? この「感性」の部分こそ「個性」であり「個人」であり「自己」なのだから、あなたの「自己」を削りとり、そこを「社会性(群れ)」で埋めますよって変な話じゃないか? と妙に考えすぎてしまった。時に、人生は己よりも社会を優先すべき場合はあるのだけど。
 大事な感性……自己を失ってまで掴むべきモノなんて現実にないと思うのに、それを掴もうとするための薬が存在することに、不思議だなあって考えたりするのでした。

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