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一口エッセイ: 陰キャの自称になんの意味もない

 そりゃ、人間には綺麗事を抜きにすると、どうしても成功している人を妬む/嫌う心の動きはある筈で、特にネットなんてそれが顕著であるのだから、できる限り不幸なフリ、体面だけでも苦しい様子を見せることが最適解ではあると思う。もちろん、それを逆手にとって「明るさ」「悩みのなさ」を個性にできる人もいますが。基本的には、周囲からの好感度調整のために「陰キャ」を自称するしかない。もはや、誰もが気軽に陰キャを自称しすぎて、この言葉への信頼なんてカケラも無いように感じます。こうなると、本当に暗い人間が陰キャを自称することって少ないでしょうし。とりあえず陰キャを名乗るタイプの人間と同じに見られたくないだろうから。
 これは誰が悪いというわけでなく、ネットのシステム自体が「幸せ」に向いてないこともあるでしょう。結局、「この人は本やアニメが本当に友達代わりなんだな」といった判定は、ちょっと話したりツイート遡ったりしたら分かりますし。ただ「陰キャ」という属性に何の情報もない。誰にでも暗い部分はあるよね程度。
 そこで、やっぱり坂口安吾が書いていた「子供に好かれる人間は、子供の悲しさを知っている人間だ」(うろ覚え)が全てだと感じる。幼い頃の寂しさを覚えていれば、こういう発言はしない筈といった判断基準は自分にもある。本当に、この人が自分の気持ちに向かい合ってくれるかどうか、相手が背中にまとった寂しさを見るといい。


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