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一口エッセイ:相互フォロワーとの微妙な距離感ってありますよね

 最近のTwitterには、「サークル機能」なるものが追加され、サークル内に入れた人物のみにツイートを読ませることができます。
 嬉しいことに、ちょいちょい僕をサークルに入れてくれる方がおりまして、サークル用の隠しツイートが流れてくるたび、僕の存在を許してくれていることに「承認」に近い感覚を覚える。本当にありがとうございます。どんどん入れてね! なんなら、僕は相互の人からならいつでもDMきても良いまで思っている。ちなみに僕はサークル機能を全く使っていないです。
 フォロワーが増えるに従って、Twitterの自由度も減っていきますから、だんだんみんな仲良い人を集めたサブ垢に籠るのですね。なので、せっかく相互フォローになった人たちも、基本的に活動についてのツイートしか流さないため、あまり人格が読めずに交流する機会がない。お互い、「なんとなくタイムラインで見る人」から踏み込まない状態が続く。稀にいいねされて喜ぶ。
 自分で言うのもなんですが、僕は驚くほど無害だ。特に攻撃的な発言もしないし、脳内も基本はアニメや本のことでいっぱいで、特定個人への恨みや執着もほとんどない。自分からリプライもしない。正直、タイムラインに居ても居なくても全く変わらん。実は、絡んでもらえると普通に嬉しい。ずっと家に一人だし。この「掴みどころの無いやつ」感は、逆に言えば特別サブ垢などでフォローする必要の無さへと繋がる。居ても居なくても変わらないんだから、好きな人だけ集めたアカウントでわざわざ僕をフォローする意味がないのだ。それは長いTwitter生活で自覚している。しかも主に深夜にしか居ないし。
 逆に、僕の方が心を開いて絡みに行ったりサブ垢でフォローすればいいわけなのだが、いかんせんそれは面倒くさい。以前は少数だけをフォローした鍵垢も試してみたものだが、毎日こうして思考を垂れ流し日記を書く都合上、わざわざ他人に隠してまで投稿することが無かったので消した。インターネット上でこそこそ他人の愚痴を書くと魂が穢れると思ってるし(他人の感情は好きなので読むのは良いけど)。
 つまりは、「僕はサブ垢も無いし絡みにいかないけど、みんなのサブ垢やサークルに入れてね!」と我儘言っていることになる。信頼は互いの手の内を見せ合って生まれるものなので、一方の鍵だけ覗くのは対等じゃないわけだね。しかし、鍵垢が無いものは無いのだから仕方ない。
 僕は相互フォローの人を好きで見ているのだから、これを読んだ相互の方はじゃんじゃん僕に絡んであげてください。あわよくば、こっそり鍵垢なども教えてくれたり、通話に誘ったりしてください(僕はフォロワーと雑談通話することに憧れがある)。と言いつつ、自分から動かないので、結局はいつまでも「居ても居なくてもいいヤツ」ポジションのまま、のんびり深夜のタイムラインを彷徨い続けるのでしょう。


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