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観光地の栄枯必衰 清里駅のゴーストタウン

 新年早々、誰も居ない場所へいこう。
 というわけで山梨・八ヶ岳を降りていく。よくよく考えると電車を使えば良かったのに、なぜか電車という発想が頭から完全に抜けており、雪も残る冬の山を1時間半歩き続ける。標高は1,000メートルを越え、凍った地面が足元の自由を奪う。昨晩、急に電車へ飛び乗ったため厚着でもない。ただのバカだ。
 山の残酷さをひしひしと実感する。まず、引き戻れない。ある程度歩くと、もはや引き返そうが進もうが大して変わらないので、どうせなら進んでいくしかない。途中で「電車に乗れば良いのでは?」と気づいたところで、もう駅まで戻る方が手間なのだ。そしてコンビニも自販機もない。途中で腰を据えて落ち着くポイントも水分補給もできない。暖かな缶コーヒーで冷え切った手を温めることも叶わないのだ! 自然は厳しい。
 とはいえ、歩けば着く。1時間半、ただただ山道を行くとようやく街が見えてくる。人の気配がする。「近くに人間がいる」という都内では当たり前のことがこんなにも嬉しい。
 ……と言いつつ、実はほぼ無人である。
 何故なら僕が向かった先は、すっかりゴーストタウンとなったバブル期の人気観光地・清里だったからだ! かつては溢れかえるほどの人人人であったものの、バブルともにブームも終焉、今では当時は盛況であった西洋風の大きな建物たちが、がらんと空っぽのまま放置されている。さながら「ヒョンヒョロ」のせいで住民が一瞬で消えたような不気味な薄暗さ。



 
 どうでしょう。
 どれも全盛期は多くの家族や恋人の夢を背負って愉快に賑わっていたに違いない。それが今やただただポツンと「残滓」だけが聳え立っている。
 良い! 正月早々、こんな贅沢な物悲しさを味わえるとは。瞬間的に熱狂を生んだ観光地の夢の跡。ぽつりぽつりと稀に車が通っていく。もちろん、その先が目的地であって、わざわざ清里駅に止まる予定なんて無い。

 逆転の発想として、年末年始に独りでは寂しいのだから、逆にがらんどうとした空間を一人きりだからこそ満喫すればいいじゃないか。そう思い立って、前から気になっていた清里を訪れてみたものの大当たり。まだまだ標高は高くめっちゃ寒いが、この肌寒さも街の寂寥感に一役買っている。似たような発想からか、誰も居ない清里を撮りに来たカメラマンのみが練り歩いており、街に二人きりとなって緊張が走る。互いに「こいつさえいなければいいのに……!」と思いつつ、仕方がないものは仕方がない。
 ここから少し降れば『萌木の里』なる観光地があり、そこは山梨なりに盛況。家族連れもポツポツいて本来の街らしくなってくる。今夜はここへ宿泊する。ここには屋外メリーゴーランドがあり、森の中にぽつんと巨大なメリーゴーランドが光る光景はなかなかレアだ。このメリーゴーランドの写真も清里以上に撮りたかったのですが、自分でも驚くほど良い写真が撮れたので、それは次回に自慢します。あとオルゴール専門店でいっぱい買い物しちゃった。店内がオルゴールの音色だらけで綺麗だったから……。
 それはそうと、変に金持ち気取ったり恋人にカッコつけたりしたいわけでなければ、旅はできればホテルでなく街の住民が趣味も兼ねて営業している宿をお勧めする。僕が選んだ場所もそうだ。昨晩は急すぎて普通のホテルだったが。


 見て。恐らく全盛期の清里の西洋風の雰囲気を引きずっているものと思われますが、内装がキューブリックすぎてたまらない。


 のんびり経営な老夫婦がフレンドリーに暖炉でのマシュマロの焼き方や地元の裏情報とか色々教えてくれる。システマチックなホテルではあり得ない密度のコミュニケーション。訪れた地域の暮らしを知るためには、住民と会話をする他ない。宿ならロビーに腰掛けていると、見兼ねた店主が紅茶を淹れながら雑談相手になってくれるし、こちらが旅を堪能している素振りを見せると向こうも嬉しそうでWin-Winなのだ。
 それはそうと、ここまでシャイニング然とした空間で原稿なんて書いていたら、それこそ発狂するかもしれん。僕が斧持って扉を破りに来たら……その時は雪の迷路を逃げ回ってください。
 

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