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一口エッセイ:劇場版 カリギュラ効果とえっちな作品

 精神を病んでいる周辺人物に対して、「○○するのは止めてね」と注意してしまうのは、時として悪手になります。なぜなら、相手は「逆に禁止された行為を行えば、向こうが困り始めて構ってくれるんだな」と考えてしまうかもしれない。
 例えば、「自傷行為はダメだよ!」と言うと、「なら手首切るたびに、この人は自分に怒ってくれるんだ」と考え、構って欲しい時の必殺技にされてしまうこともある。「晒さないでね」と言ってしまったら、「じゃあ晒したらめちゃくちゃダメージ入るんだな!」と学ぶわけですね。これは大変だ。
 それはともかく、近い心理状況として『カリギュラ効果』があります。やってはいけないと禁止された行為こそ実行したくなる心理現象ですね。人間は自由を奪われることへのストレスが大きいため、自由であるために反発したくなってしまう。「閲覧禁止」と言われているモノほど見たくなるように。
 さて、今回はここまで前置き。カリギュラ効果の概念さえ念頭に置いてもらえたら、上の例はどうでもいいです。ギアを上げるぞ。最近、えっちなコンテンツの魅力はカリギュラ効果を意識するべきなのかと考え始めてきました。
 せっかく様々な表現に挑戦できる「創作」なる媒体があるのだから、現実では犯罪や倫理的にダメとされている、えっちジャンルの方が燃える人も少なくないでしょう。えっちな漫画などの人気ジャンルは、寝取られや催眠が鉄板ですから。陵辱とかもね。これも、ある種のカリギュラ効果なのかもしれない。空想の中で性欲を消費することで、現実に囚われた思考を自由にする解放感も含んでいるのは? と。えっちなイラストを描かれがちな二次元キャラクターが、本編では極めて品行方正であるのも、カリギュラ効果とギャップが興奮を促すんじゃないか。
 というのも、データを取ったわけでないので偶然かも知れないが、最近「百合の間に挟まるおじさん」のえっちなイラストに遭遇する頻度が増えた。これはカリギュラ効果なのではないか?
 一時期、百合アニメが台頭していくに連れ、「百合の間に挟まろうとするオタクを殺す」という雰囲気が蔓延しました。あまりに浸透しすぎて、「こう言えば同性愛に理解あると通ぶれるんだろ」といった形での消費もされ、もはや百合の間に挟まろうとするオタクを徹底的に攻撃する過激な方も僅かにでてくる程。
 が、創作とは自由であるべきですから、当然「百合の間に汚いおっさんが挟まるのが最高なんだ!」という方が居たっていいわけで。というか、結構居ると思う。「百合」が神聖視されればされるほど、それを穢すことに快感を覚える人も増える。そこで、地球上の誰かがふと思ったのだ「俺は誰に何と言われようと、人気百合カップキャラクターの間に汚いおっさんを挟むぞ!」と。
 果敢な特攻隊長が負け戦へと挑む勇姿を皮切りに、同じく百合は穢してはいけない風潮に悶々としていたならず者たちも続いた。今までタブー視されていた扉が開くからこそ、大衆たちは神話の崩壊に熱狂する。亀裂の入った壁の隙間から、みるみるうちに革命軍が侵入してくる。そういうことが、いま「百合の間に挟まるおっさん」のイラスト増加に繋がっている……気がする!
 太陽と月。光と影。えっちな目で見てはいけないモノこそ、えっちな目で見ると興奮する。そういうことなんだなぁと考えつつ、催眠モノのえっちな作品を探している際に、DLsiteなどに氾濫するAI製CG集の多さにキレて夜を明かすのであった(AIのCG集でも当たりはあるのでは、と何度か買うたびに後悔しています)。


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