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エッセイ:アニメアイコンの劣等感と青春の日々

 初めて強い劣等感を覚えたのは、18になってTwitterアカウントを取得してからでした。
 思うに、沖縄は「ぬるま湯」として、すごく良い環境であった。全員がバカだから。県内で多少の格差はあれども、内地の人間からすれば五十歩百歩の貧乏生活。誰もが貧しいのだから比較する必要がなく、みんなで緩やかに死へと向かっていく。それはそれで、幸せなことかもしれません。
 なので、Twitterアカウントを作成し、初めてインターネットで人格を獲得して同世代のアニメアイコンに囲まれるようになって、ようやくこの世界が競争で成り立っていることに気づいたんですね。同じ「アニメアイコンのオタク」でありながら、その中でも学歴が高い人、実家の太さ、モテるかどうか、いろんなステータス差があって、「俺たちみんな等しくダメオタクだよな!」と建前を見せつつ、それでも時折オタクの平均以上の能力をチラチラ披露する環境。工業高校だったので分かりませんでしたが、恐らく普通校の空気って、こんな感じなのでしょう。
 別に、「みんなで仲良くやろうね!」なんて微塵も考えていませんでしたが、抜け駆けして能力を示そうとしてしまった者がいたら、一斉に晒して叩いて出る杭を打とうとする光景に、ものすごく「人間」を感じたのを覚えています。でも、10代後半なんてそんなもんですね。誰もが幼かったのです。もちろん、僕も。
 そこでの自分は、アンバランスな立ち位置でした。学歴や収入……つまりは将来性が底辺であり、なんだかんだ言いつつ就活するタイプのアニメアイコンたちから薄ら見下されているのを感じていました。ですが、自分にはネット慣れとオタクコンテンツへの知識量という明確な武器があり、おかげで彼らよりフォロワーが多かったんです。なので、出る杭だった。オフ会のたびに周囲から発せられる、「今はTwitterでは目立てているけど数年後には社会的に死んでいるんだろうな」といった眼差しも忘れられない。アニメアイコンである故にオタクとしての立場もあるものの、いざとなれば「リアル」の土俵で勝負することでいつでも潰せるなと認識されていました。
 18〜20歳くらいは、それでも表面上、平等な友人として扱ってもらっていましたが、以降はだんだん就職という「リアル」が襲ってくる。なんだかんだ彼らは大学に通っており、親なり同級生なりのプレッシャーに耐えながら、就活を行うんです。そのタイミングで、次第に人格が社会的になる。僕らのことを「いつまでもネットで遊んでいる人」と識別する。まぁ、いつまでもネットで遊んでいる人そのものなので、全くもって正しいけど。やっぱり、どことなく壁はできる。よほど気が知れた友人になった数名はともかく、半年に一度オフ会で会うかどうかのフォロワーからは、「こうならなくて良かったな」という目で見られることも少なくありません。
 僕も過敏になっていた。もう彼らは働いて社会の話を中心に呟く、ネットの出る杭を打ちつつ器用に現実もこなす裏切り者に見えたのです。だんだん嫌になってリムーブしていきました。その劣等感がバネになったのか、僕のフォロワー数は彼らをリムーブするたび増えていきます。すると、一部は「コイツはフォロワー増えて俺を捨てた薄情者だ」と怒ります。対して、僕は「就職なんかして先に裏切ったのはお前らだ」と考えていたわけです。なんてしょうもないすれ違いなんだ。
 今日、拙作『NEEDY GIRL OVERDOSE』が1周年を迎え、用意していた企画を発表し、たくさんの人から祝いの言葉を頂きました。同じタイムラインを生きたアニメアイコンたちは、その様子を見て僕のことを「器用に生きてきた裏切り者」と認識するでしょうか。全然器用じゃないよ。むしろ貴方への劣等感と寂しさしか持ってなかったよと。たぶん、彼らが就職した時も同じく必死であったんでしょうね。今ならわかる。互いに大人になってしまったいま、こちらが相手に恨みのないように、向こうも素直に応援してくれるかもしれません。本当に、両者ともに成長してしまった。どちらも相手を「裏切り者」と感じたくらいにギラギラしていた日々は、出る杭を打ちつつ自身も目立とうとする緊迫感は、あれこそアニメアイコンの僕らに遅れてきた「青春」だったのではと、今になってアニメアイコンたちの若さと歪な輝きの尊さを感じてくるのです。


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