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一口エッセイ:Twitter、たのしかったね

 「Twitter、たのしかったね」
 スマートフォンから僕へと視線を移した彼女が微笑みかけてくる。今夜はTwitterが最後の日だ。笑顔を向けている彼女の表情も、よく見れば「寂しさ」が含まれている気がする。
 「TikTokとかInstagramはさ、やっぱり画像や動画のコミュニケーションだから、何かを作ることができる人や、魅力的な一芸がある人たちの場所じゃない? 何もない人が何もない日常を淡々と書き込むから味があったSNSって、Twitterが最後になっちゃうかもしれないよ」
 そうなのだ。特別きれいだったり刺激的だったりする情報じゃなくてもいい。どこにでもいる人の、ありふれているけれどちょっと面白い。そんな塩梅の日常が垣間見られるのはTwitterの特権だと思う。彼女のアカウントに惹かれたのだって、僕と似たような平凡な暮らしを呟く中で読んでいる本のセンスが近しいことが好きだったからだ。これが有名なインフルエンサー相手だったら、僕がフォローを返された後に仲良くなれることも無かった。この距離感はTwitter特有のものに思える。
 「140文字って、ちょうど良かったんだと思う。それ以上だと疲れちゃうし、本当に大切なことなんてそんな字数で十分だよね」
 僕から視線を外す。本当に大切なことが短いに決まっているのは同意する。だって、僕の気持ちを彼女に伝えるなんて最低2文字でいけるし、ちょっとカッコつけたところで2.3行。でも、それすら伝えられなかったから、こうして曖昧な関係のままで時間を過ごしている。
 「Twitterが無くなったら、わたしたち接点が無くなっちゃうね」
 そうなのだ。もちろん、LINEやDiscordは交換している。でも、それだけ。基本的にはTwitterで相手のアカウントの近況を見て、それをとっかかりに話しかけているのだから、中継地点であるTwitterが無い場合、なにを起点に話しかけていいか分からない。そんなこと気にせず「最近どう?」なんて送れればいいのだが、そんな度胸がないからこそ、曖昧で許されるTwitterに囚われ続けてきたんだ。
 「それでいいかもね。Twitterで出会ったんだから、Twitterが無くなったら、おわり」
 ここで、ツイートにハートを押すくらい簡単に本音を伝えられたらいいが、現実はタップ一つで進展しない。例え、ここで都合よく相手が関係の継続を望んできたとしよう。しかし、どうだ。僕らはTwitterを呑気に漂う何もない人間。「平凡」という共通点を結んでくれた大元が消えるのだから、やっぱり今の関係から変わる必要はあるだろう。しかし、急に努力を積めるほど正しい姿勢で生きられない。こんなにTwitterへ依存していたとは、むしろ「生かされていた」とは驚いた。
 「本当は、ありふれた日常のちょっとした出来事って、恋人や友達に聞かせるものなんだろうね。それくらいいつもの日常も大事なんだと思う。そんな大事なものが無限に散らばっていることに終わるまで気づかなかった」
 彼女は自嘲する。永遠だと思っていたが、何事にも終わりはくる。これからは、創作者やインフルエンサーたちの時代がくる。SNSやプラットフォームは、彼らを応援や課金をするための強力な導線として機能し、「普通の人」は等しく「応援する側」になる。誰かのフォロワー1、いいね1になるんだ。下手くそでもイラストの練習でもしていれば良かった。そうすれば、それを批評してもらう口実で彼女に連絡できたのに。
 「……やっぱりキミは黙ってるんだね」
 どう返せばいいのだろう。Twitter上みたいに、「僕がイーロン・マスクを買収して復活させます!」とかふざけて見せればいいのだろうか。
 「いくじなし」
 彼女が立ち上がる。それでも、僕は黙り続けていた。夜のタイムラインで会うのが好きだった。眠れない深夜、彼女が読んだ本の感想を呟いているのを見て、そっといいねするのが好きだった。本の感想をリプライし合っているうちに、DMになって、リアルであって、ふざけて、笑って。でもそれ以上になるのが怖いまま終わってしまう。
 「……じゃあね」
 店を出て行く彼女の背中が遠くなっていく。僕は、震える喉から声を振り絞って

 ──逆に、いまmixiにガチでハマろうかな

と呟く。Twitter全盛期なら、2RT20いいねはいくだろう。でも、そんな僕のくだらない、SNSの小さな小さな界隈でしか受けないユーモアは、誰にも「いいね」されなんて押されないまま宙へと消えていった。


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