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仲良くしてください。人間であるうちに……

 もし、僕の相互フォローだったり昔からの友達がこれを読んでくれているなら、どんどん気軽に話しかけて欲しい。「話しかけて欲しい」なんて傲慢な言い方ですね。「仲良くしてください。よろしくお願いします」が正しい。
 僕は数年後に人間でなくなる。確信がある。良い意味でも悪い意味でも、現在のどうにか人の形を保っている人格とはまるっきり変わるでしょう。それだけ大きなモノを世に出す。あらゆるトラブルや苦難が待っているでしょうが、僕は絶対に諦めることなく完成させる。評価は人それぞれとしても、その実績は周りから見れば一目置かざるを得ないはずだ。努力をした者は報われてしまうのだから。
 日に日に主に仏教に倣う僕の宗教観は強化されていく。苦難を乗り越え、煩悩を捨て去り、静かに写経を繰り返し、感情を抑える生活を是とする。とにかく全ての感情や出来事を創作へぶつけるだろう。より良いモノのために読書や映画鑑賞を絶やすこともないはずだ。それらを支える体力作りのためジムへも通い続ける。文章を書く訓練のために毎日のエッセイ投稿も休まない。恐らく、僕はそれができる。僕はそれ以外に存在価値なぞないと思い込んでいるし、何もかもを出し切った先で解脱に近づくと信じ込んでいる。
 側から見れば危ないスピリチュアル野郎でしかない。が、僕はもう現世を「輪廻転生の輪から抜け出して涅槃へ行くための修行期間」と認識し始めている。信仰の話でなく、その方が効率的だと納得しているんだ。生きるためには目標があった方がいい。それを僕の意識は「解脱」へ定めた。いつ、なぜそうなったかと決定的なことは無いのだが、ゲームを完成させ、手に入ったモノ、失ったモノ、自分にとっての善悪と倫理へ向き合い、世界の見え方が変わった結果、来世も俗世を、人間界で過ごすことへ耐えきれなくなった。だから、表現したいもの、伝えたいことを全力で出し切り、あとは坐禅と瞑想、のんびり功徳を溜める余生を送ることを理想とする。
 なので、何がなんでも「成す」だろう。それしかやることが無いのだから、進む限りは辿り着く。一般的な成績まではわからないし二の次だが、とにかく数年かけて背負った使命と責任を果たしたことで、今以上に僕は他者から近寄りがたい存在になるはずだ。「努力をしてしまった」人間は怖がられる。恐れられる。攻撃される。妬まれる。僕は不特定多数から向けられる感情に辟易し、さらに人間関係を狭めていく。そうなるとますます何かを作ることでしか他人に認められなくなる。このループの中で、僕はみるみる人間でなくなっていく。
 とにかく、数年後の自分は大きなモノを世に発表し、それによって周囲からの見え方は変質する。主観のステージも高くなる。より偏屈な形で宗教観と信仰心が固まり、一般的な人間の感覚と離れていく。それが気持ちよくもあり、怖いのだ。もう四年以上、お金をもらうこともなくエッセイを投稿することを辞められず、今年は週3のパーソナルジムへと通い、それに伴い決まった食事を続ける生活も継続するでしょう。「修行」と認識することで、自分の魂と肉体を磨く行為に快感を覚え、どんどん完璧主義を遂行していく。完璧主義の先は残念ながら破滅だ。この世界に完璧なことなんてないのだから。行き着く果ては即身仏か。
 当然、僕はまだまだ俗な人間だ。が、近い将来、作品のために全てを犠牲にするタイミングがやってくる。その時は遠くない。せめて、それまでは人間を満喫したく、いっぱい遊びたいし会話をしたい。だから、仲良くしてあげてください。今の僕は自分へ興味を持っている方へ敵意も軽蔑もありません。すでにネットでの不特定多数からの人格攻撃や誹謗中傷、ゴシップや正論も全て浴びてきたのだから、今更ちょっとやそっとで怒りも憎みも覚えやしない。どうでもいいんだ。来るべき解脱に比べたらすべてが些事だ。
 すでに周囲の一回り上の大人から忠告を受けている。このスピードで僕が生き、数年修行を続けて成果を出していったら、僕の警戒心は一層強くなり、ほとんどの人間をシャットアウトせざるを得なくなる。プロデューサーたちはそうなった人たちをたくさん見てきて、恐らく僕も例に漏れずそうなる。というか既にそうなっている。「今のうちに遊んでくれ」とまで推奨されだした。僕はたとえ打ち合わせを兼ねていても「飲み会」には不参加で、「飲み会で社交辞令や社会的な挨拶をするたび自分に嘘をついて魂が穢れる感覚があるので絶対に行きません」と先に断ってきた。代わりにプロデューサーだけ席に置き、僕自身は店の周りを2時間ほど散歩していた時もあった。周りの大人も「この人はこんな感じだから仕方ないか」と受け入れてしまっている。怠いから変に触れないでおいてくれているのです。
 僕の頑固で自閉した人格が、成果物を世に出すことによって肯定と受容がされてしまい、「そういうもの」として否定できなくなってしまった。僕の拘りを社会性で潰すよりは、放置して勝手にシナリオ書かせていた方がどちらにとっても得である。個性を尊重する方向にしておくと収まりがいい。代わりに、僕は日に日に人間でなくなっていく。体脂肪率も少しずつ減少し、肉体もより完璧へ近づくだろう。精神は肉体に引っ張られる。
 これからどうなるんだ。わからない、けれども加齢に伴い、僕がどんどんスピリチュアルになるのはたしかだ。人間であるうちに仲良くしてください。僕はいま特定の他者を恨み、妬み、攻撃するほどの執着もありません。僕は本当におかしくなる。おかしいことは主観では幸せかもしれない。変なやつの方が他者から好かれることもある。未来に何が起きるかはわからないけれど、少なくとも今はまだたくさん遊んだり、お話ししたい。「寂しさ」だけは忘れていない。

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