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満たされない飢えと熱量

 だいぶ昔からちょくちょく心情を送ってきた、小説家を目指しているという大学生からのメッセージが、今回はきちんと回答したいと感じたのでこちらに書いてみましょう。そんな大袈裟な話ではないけれど、なにぶん文体がいい。

 前置きの「上京して友達もできてモテ始めた」なる部分が若干苛つくのは置いておくとして、僕の小説にゲーム、エッセイを読んでもらえていることは嬉しいです。その上で「ここまで人気になっても既存作と同じ熱量のまま作品を作れるの?」という純粋な疑問。
 端的に答えると、できます。
 「行動原理に飢えや承認が強かった人間が満たされてしまったら活動しなくなるのではないか?」について、誰でも考えたことがあるでしょう。もちろん、そのような作家も居るでしょうし、一時的に燃え尽きてそうなる人も少なくない筈です。休憩は悪いことじゃない。とはいえ僕はゲームリリース後も特に休んでもなければ、なんなら開発中より動いている。
 ジムにも通ったし、鼻の手術もした、海を越えたファンや読者もたくさん応援してくれる、これらは全て喜ばしいことですが、全て次の作品への糧です。今はアニメ製作のため頭がいっぱいで、途中で倒れないよう身体は鍛えて、鼻呼吸を得て睡眠時間を伸ばし、ファンの期待をバネとする。報いるためには良いアニメをお披露目する以外にありません。
 満たされたかどうかで言えば、実は僕の最も根源的な欲求。母子家庭育ちかつ、その実母とすらもう会えない自分が一番求めているものは「家族」です。これはもう揺るがない。妻がいて、子供が笑っていて、家庭があって。一度も体験したことのない暖かなリビングの景色を見たい。いや暖かくなくてもいい、沖縄のみんなはつねに薄暗く寒い団地の中でも笑っていたからね。
 それを考えると、リリース前も以後も恋人ができたとかでは無いので何ら変わってない。部屋のフィギュアや本が増え続けたことや多忙のせいで、むしろ結婚から遠ざかった。お前、大学で友達ができてモテたならいいじゃないか。それは僕が手に入らなかった青春だよ。30になって周囲も結婚し始めた。僕は彼ら彼女らの方が「満たされた」と認識している。まだ新婚状態だから分からないけれども、家庭を待って守りに入った彼らが熱量を、ロックンロールを得られるかを横目で気になっている。
 で。昨年僕は、まくるめさんという友達が90年代鬼畜文化風のうさんくさい記事を身内ネタとして書き、匙加減を間違えたせいで僕が「腕時計泥棒」だの「キメセク野郎」だのと言われた時期がある。それらにきちんと説明しても野次馬が騒ぐネットらしさを一身に受け、SNS離れをした。まくるめさんとは別にこの件で争ってもないし、たまに世間話をするとかなので、当事者間は問題ないです。身内の人間や関係者は真相を知っているのでただ笑っていたし。
 その際に「大衆とはなにか」を考える機会となり、宗教や文化的なコミュニティの根本的な成り立ちについて改めて興味を持った。今はそこから学んだことや解釈を作品に込めたく、書きたいことはまだまだある。なんなら記事の時に騒いだ連中を悔しがらせるには、アニメを完成させるのが一番でしょう。普通は自分の好きなようにゲームを、アニメを作る経験なんて無いのだから。
 要するに、満たされてない。そりゃ色んな変化はありつつですが熱量は特に変わらない。創作は己の修行であり、他者の評価以前に自身が書き終えた際に成長したかどうか。気の長い写経です。僕は写経が嫌いじゃない。
 証拠といったものではありませんが、僕はもう毎日欠かさず日記を投稿して5年目となる。そのために、つねに本や映画、アニメで新しいものを取り入れ続けたり、ネタになるイベントや体験へ踏み入れ続けてきたこととなります。継続はわかりやすい実績ですね。

 noteのグラフを見るとこう。集計ミスかなにかでボコっとなっている部分もありつつ投稿数は直線。それに伴い読者数も増えている。数字がどうではなく単純に毎日文章と知識・経験を磨いていく過程に人がついてきてくれているような感覚は励みになります。ありがとうね。
 今なお変わらず日記を書き続け、そして書くことがあるのだから、やっぱり僕のカルチャーと承認への「飢え」はまだまだ渇いている。恐ろしいか。僕は初めて龍騎に衝撃を受けた小1.2くらいの頃からずっとこうだ。何かを読む・観るのをやめた時期なんて一度も無いね。アナタが充実したキャンパスライフで満たされて納得するかはわかりません。それはそれで幸せなのは確実です。
 

 

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