一口エッセイ:写真を撮る
実は少し前からiPhoneを最新のものにしたので、カメラを活かすために日々の写真に力を入れ始めています。スマホを新しくした理由は、生活保護の友人が貧困に負けて自身のスマホを売り、連絡がとれなくなったため僕の古いスマホをあげざるを得なかったからです。いい機会さ。
淡路島で撮影した安藤忠雄の建築の写真。カッコいいでしょう。
まあ、これは安藤忠雄の名建築がすごいだけですけど。僕なりに角度なり彩度なりをいろいろ考え、自分が気持ちよくなる夜と光と構造を画像で表現できるよう試行錯誤しています。今後の企画に役立てたい気持ちもある。要するに、暇だから趣味が一つ増えたのですね。
こうして建築を見に行く動機にもなりますし。もっと修行を積んだら、オランダへリートフェルトのシュレーダー邸を見に行って、この目でモンドリアンを感じるんだ。
そういえば、人間か自然を撮ろうという気持ちは一切湧かない。やはり人の手で生んだ芸術を自身が解釈したベストなアングルや光を見つけたい欲なのでしょう。さらにいえば、どこまでいっても特撮ファン的な思考であり、オモチャや背景をいかにカッコよく見せるかに挑戦したいのだ。
これは特にお気に入り。雨上がりの秋葉原。グッスマでねんどろいど超てんちゃんの監修をした帰りに撮影したもの。
『東京レジャーランド』は、秋葉原お気に入りスポットの一つ。奥まった場所にあるひっそりとした佇まいに、これぞゲームセンターだといわんばかりにギラギラな配色のネオンライト。たまたま通りがかった車のライトも合わせて、「夜の秋葉原」へ求める刺激が画面におさまりました。
こういった、もう画で見せるしかない感覚を伝えるために写真があるのだな。薄暗い街に現れたワクワクと背徳感、機械が発する光の怪しげな魅力。これぞ僕が秋葉原に住んでいた理由だ。中野は中野で「建物の中に漂う寂しさ」があるけれど。
先日、友人たちと遊んだディズニーランドの閉園間近の風景。僕はメリーゴーランドを「夢」の象徴のように感じており、木馬たちを彩る光と現実離れしたお城だけが夢の国を満喫しきった人々を照らす。
夢の終わり際、幻想と現実の狭間。
もう少しメリーゴーランド自体に近づきたかったなぁとか、ちょっと暗くしすぎたか? など、まだまだ反省点も多い。敢えてしばらく写真についての本や記事を読まないつもりでいる。今は自分が画面に閉じ込めたいと感じた瞬間を切り取って眺めるだけで幸せな段階なのです。
人間は、詩で、絵で、写真で、映像で、きらきらと輝く綺麗なモノを永久に残していくことができる。
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