『Sakura Day's』作詞と自我を持った2次元
「自我を持った二次元キャラクター」としてのVtuberの可能性に関して強い興味と憧れがあります。
このたび、さくらみこさんの新曲作詞を担当しました。作曲がAiobahnで、相変わらず僕も渡された彼の曲にそのまま歌詞を載せたし、彼も僕の作詞になにか変更を加えたことは一度もありません。互いに曲と文章で信頼があるからか逆に何も言わない。今回もそう。もはや言うまでもなくAiobahnの曲に過不足は無い。ただ、この曲に関してはイントロを聴いた瞬間から「今年のAiobahnの代表曲となるだろうな」と確信がありました。彼がここ1.2年で求め続けた、ポップでかわいくて、ちょっぴり切なくて、なエロゲーらしい音での到達点でしょうね。
であるので、まずはAiobahnから届いたインストに対してテーマを考えます。この曲は当然みこちさんのためのものであるので、まずは彼女のことを知る必要がある。元からそれなりに知っていた要素から特に「美少女ゲーム好き」といった部分は活かしたい。
男に生まれたからには一度は挑戦したい「美少女ゲームヒロイン視点での詞」。そこから膨らませ、画面内で決められたセリフ以外を話すことができる自我を持った美少女ヒロインの進化の形としてのVtuberを題材にしようと決めたのです。曲内では「ヒロインは決められたシナリオしか歩めない」と書いてありますが、曲外での彼女はゲームのキャラでなくVtuberなので誰も想定できない無限の会話が可能となっている。この構造には希望があると思った。
「自我を持った美少女キャラクター」として観た際のみこちさんはとても素晴らしい。彼女のコミカルな一挙手一投足や天然な瞬発力、なによりリスナーを楽しませるエンタメ性には二次元の可能性がある。追っている側はさぞかし「美少女キャラクター」との愉快な日々を過ごしていることでしょう。
極めつけはKanauruさんの動画。
僕はKanauruさんの作品が大好きで、みこちさんがまるで幼馴染のように「朝ですよ〜」と起こしにくる映像は、何度も何度も繰り返し見てきた「幼馴染ヒロイン」そのものであった。このあまりに二次元らしいセリフを投稿できるみこちさんの「オタクへの優しさ」に感銘を受け、あとは気づくと作詞は完成していた。みこちさんのキャラソンというより、「美少女ゲームヒロインの新たな可能性(としてのみこち)」をイメージしている。ブラウザの窓、ゲームウインドウの窓の中から語りかけ、そして飛び出すことができない運命なのはどちらの概念にも共有する。
「ラララ」や「リラリラ」などを多用しているのは、僕が音楽知識がないので一旦もらったメロをラ行で羅列する作業を行う際の名残です。基本的にただのおっさんである僕が詞を載せるより、美少女がラ行を発音する方が音楽の本質だと考えているので、そのまま採用した。まだ表になっていない別の曲でもそうしている。シャララ♪
ちなみに海外に居たので動画については僕も公開時が初見でした。なので映像としては皆さんと同じタイミングで感心しましたね。やっぱりイベントCGがサビで表示されるとさ、いいよね……。
以前、ある配信で「ずっと画面の中だけの神さまでいてね」とコメントが流れてきて心打たれたと書きましたが、あれは作詞中に覗いた、みこちさんの『8番出口』実況での一瞬でした。
背中を映してゲームに没頭するためコメント欄を見ないスタイルだったので、その隙に感極まったファンが「ずっと画面の中だけの神さまでいてね」と投稿した。誰もが夢見た自我を持った二次元キャラクター(信仰すべき神聖な存在)へ祈りを捧げたのだ。
この瞬間、彼女は文字通りオタクが「神の存在」を感じる依代、巫女であったのです。素晴らしい。作詞で関われたことを誇りに思います。
サポートされるとうれしい。