一口エッセイ:キモい!自己憐憫野郎
自己憐憫だ、悲劇のヒロイン症候群だ、自己嫌悪だ、と適した言葉を探してみようとしても意味がない。問題はもっと単純なもので、「幸せ」が怖いだけだから。……ということにしている。
素直に幸福を享受することへの耐性がないのだ。幸せになると自分の存在価値が失くなってしまう。「こんなに不幸なのに頑張っている僕」という自己認識の像が歪んでいく。実際のところ、どうにか欠点や不安だけを見つめて不幸ぶっているだけである。幸せを敢えて放棄することでアイデンティティを保っている。
人生における幸せの度合いが増して「普通」なると、一般的な人間たちと同じラインで勝負することとなる。言い訳が塞がれてね。それは怖い。「普通」のコースを、「適度」な速さで進み、「それなりの」ゴールに辿り着くなんてことできるわけがない! だったら逆走したり、欠席してでも試合を放棄するべきだ。でないと晒し者になってしまう。ペースを間違えて、ヘトヘトになりながら周回遅れでゴールする姿を揶揄われるなんて耐えられない!
スタートラインに立たないための手段として、「幸せ」と向き合わないようにしていたのです。それも向き合わないフリでしかない。本当に幸福を放棄するほど強くもないし狂ってもない。なんだかんだそれなりに人生を楽しみ、恵まれ、現に今も生きている。総合して、最もみっともない生き方を選んでいる。これも過剰に自虐することで本当に突かれたくない部分を隠しているだけにすぎない。僕の自虐は、後悔や卑下なんて高尚なものでなく、ただの自己防衛本能だ。反射だ。もう癖で声に漏れるだけで、なにがなんだか意味なんてわかっちゃいない。
つまるところ、卑怯者の甘ちゃん。幸せな時はそれを認め、不幸に見舞われたら克服しなければならない。それがどうだ。不幸が訪れるたびに、それを言い訳に楽ができる、スタートしないで足踏みできると、これ幸いと喜んでいる。逆転している。不幸を幸福としているわけで、そんなことを望んでいる贅沢者なんか死んだ方がいい。まともに生きようとしている人たちに失礼だ。罰を受けるべきクズだ。
けれども、そんな罰を受けたらまた気持ち良くなる。ああ、なんて不幸なんだろう。ちょっと自虐が過ぎただけでこんな目に遭わされる。可哀想。個性的な生き方、普通とはちがうエキサイティングな人生!
……バカバカしい。こんな戯言を「日記」という体の保険つきで世界に垂れ流す愚かさを恥じるべきなのだが、この形の自傷から離れられない。誰かに救われたら気持ちいいし、救われなければその残酷さに気持ちよくなる。こんな頭の悪い生き物は間違いなく幸福でしょう。
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