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一口エッセイ:インターネットの孤独と蠱毒

 誰でも入れるDiscordサーバーを運営しておりまして、それがいま7000人くらいいるので、人数的にたまにトラブルが生じます。
 今日は、「誹謗中傷を言ってくる人がいます」と連絡があったので覗いてみたら、どうやら「寂しい若者が構ってもらいたくて暴言を吐く→みんなが弄りつつも構う→構われたのでコミュニケーションが成立しだんだんと落ち着いて話す」段階となっていた。インターネットなんて、壊れた人たちによるコミュニケーションの練習の場みたいなものですから、この結果は良いことですね。
 それにしても、寂しくてインターネットを荒らす若者というのは本質だなぁと感じる。僕もTwitterを開設した理由も、その後にブログで記事を頻繁に投稿するようになったきっかけも、全ては「寂しい」に収束しますから。人は、自分一人でいるより、誰かと一緒にいる時の方が孤独を感じるという話もあり、広大なインターネットを眺めているうちに、そこに自分が居ない哀しさを覚えてしまうものです。
 今朝、僕のサーバーに現れた彼も、楽しく回っているサーバー内に自分の存在がない寂寥感が空回りしたのではないでしょうか? 若さゆえに、素直に集団と折り合いつけるなんて難しいでしょうから、「斜に構える」姿勢で乗り込まないと、真正面から受ける光の輝きに耐えきれないかもしれませんからね。「素直」というのは、それだけで偉いことなんです。
 わかるよ、本当に。「仲間に入れて」なんて話すのはプライドが許さないから。自分はけっして馴れ合いなんて望んでないぞ、お前たちと仲良くする気はないぞって、そんな態度を「一応」とっていないと精神の均衡が崩れてしまう。
 一昔前のTwitterでは、匿名掲示板上がりのアニメアイコンたちが「馴れ合いをやめろ」と怒る風潮すらありました。SNSで馴れ合いを禁ずるって矛盾極まりない言動で、じゃあお前がタイムラインから出ていけよって話ですが、「Twitterでうっすら他人と繋がっているけど、その暖かさに染まりきっていない硬派な俺」をアイデンティティとしているわけです。この絶妙な斜に構え方が「若さ」なんですね。側から見れば「なんだコイツ」でしかないのですが、本人は真剣にベジータ的な距離の置き方をしているのです。
 それでもやっぱり寂しいから反応されたくて、でもコミュニケーションは恥ずかしいから、とにかく過激な発言で注目を集める。特に、僕らの時代はまだ匿名掲示板の悪ノリを引きずっていましたから、何かをバカにし合って自分を棚に上げて優位に立つことを誇りにしている人もいた。だんだんとTwitterが整備されるにつれ、そのような人間たちも丸くなるか、社会に染まるか、匿名掲示板に戻るかとなりました。未だになにかと戦っている戦士もいますけど。
 結局、みんな寂しいのだけど素直になれないだけなのですね。一歩引くとかわいく見えるけど、近くで見ると単純に腹立つし邪魔。でも、こういう人間たちが集まったスラムの中からこそ、なにか突出した才能が花開く者が登場すると信じて見守っております。
 優れた芸術家の周りには、それになれなかったダメ人間たちの死体がごまんと積まれている。インターネットこそ巨大な蠱毒であり、そのスラムで奇跡を起こす若者たちが、また新たな世界を築いていくのです。次の時代は、この元荒らしの若者が切り拓いていくのかもしれませんね。

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