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一口エッセイ:学歴と教養

 「NEEDY GIRL OVERDOSE凄い! 中卒のにゃるらさんが作ったとは思えない!」という素直な感想が面白くて笑いました。皮肉とかでなく、率直で本当に良いと思った。学歴を信仰し、良い学校で良い教育を受けてこそ、良いモノが作られているという解釈は必ずしも間違いではないでしょうし。
 しかし、創作に関しては例外も多いと認識していて、正しい道を歩めなかった反発や、それしかできない選択肢の狭さから、特異な発想から出てくるパワーで、とんでもないものが出来上がる。もちろん、学歴も創作力も完璧な「本物」も居るけれど。
 そもそも、大学とはなんだという話になると、教養を得ることが可能な場であり、教養とは知識を活かして冷静な判断ができることだと僕は思っている。教養ある若者が社会に放出され、国はそれらを安価で使って国力を増していく。なので、国は大学に投資する。頑張った若者は報酬が増えていく。

 じゃあ、「社会的立ち位置も、安定した収入も要らねえ!」という場合は、あまり関係なくなるわけですね。そういう考え方もあると言えばある。少なくとも、浅はかな僕はそう考えていましたね。
 とはいえ、「教養」自体は、結局のところ人生に必須だとは感じました。やはり知識があればあるだけ、世界の解像度は高くなる。古典を知っているかどうかで解釈が全く変わる作品も少なくない。刃牙やカイジ、ジョジョネタが拾えるかどうかで、ネットの見え方も全然違うように。つまりは、知識をどこで学ぶか。それを大学にするか独学にするか、社会で経験を通して学習するかの決定が重要で、知識自体は絶対の正しい概念なのでしょうね。

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 商業エッセイ集の方もよろしくね。教養に繋がるようなことは何一つ書いていない!

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