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『蜘蛛』とアニメアイコン

 小説の話は体調が良くなってから書こうと思っていましたが、むしろ日に日に悪化していくので、観念して頭痛に苦しみながら書いていくことにします。体調不良でどうにかこうにかしていたら、日記投稿も夕方になってしまった。そのような宿命なのでしょう。

 深夜の講談社で300冊サインをした日。それなりにたいへんな作業でしたが、書店も読者も喜んでくれたようで良かった。もしかしたら、まだサイン本がある書店もあるかもしれないので、お求めの方はツイート検索してみてください。


 本作『蜘蛛』は、タイトル通り、地を這う蜘蛛の話です。きらきらで明るい未来に包まれた蝶々の世界とは天と地の差があります。主人公は何者でもないアニメアイコンであり、「若さ」だけを持て余しながら、若さ以外何もない絶望感、それでもいつかは何かができるかもしれない淡い希望を抱いてしまう自身の楽観的な部分にも吐き気を催し、それでいて周囲のアニメアイコンたちと自分を比較し続け、勝手に優越感を覚えたり自己嫌悪に襲われていきます。そうしている間に、唯一の取り柄である「若さ」が消耗されていくことにも怯えてしまう。
 当初はニディガの外伝的な話で編集さんと話していましたが、もはやニディガを知らなくても問題なく読めることや、本編で描いた葛藤や人間関係の苦悩が原作と独立していることで、いつの間にかタイトルが『蜘蛛』のみとなっていた。商業的には書名に『NEEDY GIRL OVERDOSE』と入れた方が初速は伸びるものの、その必要もないと判断し、そのまま一つの文芸作品として出版されたことは喜ばしく思います。といった塩梅なので、ゲームへ興味ない方でも、あまりにSNSに毒された若者たちの物語を覗いて見てくれたらと。
 というのも、この小説は、僕が見て・体感した若いオタクたちのしょうもなさ・醜さ・足の引っ張り合い、それでも楽しいか楽しくないかで言えば、振り返ってみると悪くはなかった、混沌の中でしか生まれないものもあったという主観を込めたものです。そりゃもう僕含めてたいへん醜いものだった。僕らは、イラストも描けない、音楽も作れない、それでもサブカルやオタクコンテンツに一家言あるように振る舞いたい、素直に何かを褒めて認められない、まだ嫌儲と匿名掲示板の思想がSNSにも強く残っており、毎日毎日が傷の舐め合いであった。過激でないと尖ってないと誰にも見てもらえない哀れなアカウント群は、時に味方すら攻撃することも少なくない。そのたび晒し、晒され、揉めに揉める。足を引っ張りあう。
 中でも、僕なんかは学歴も皆無かつ家族とも縁を切れたわけで、みんなといっしょにダメ人間としてSNSで馴れ合いつつも、なんだかんだ大学生である周囲が就活でまともになっていく様子、アニメアイコンであることが学生時代の一時の羽休めでしかない、または現実の圧力で結果的にそうなった人たちへの恨みと諦めを感じてきたわけで、かと言って文句言いつつ、オタクであることを捨てても働き始める方が「社会的に正しい」納得感と敗北感など、一言では言い表せられない、何もかもがない混ぜでぐちゃぐちゃした感情と思考は、あらゆるキャラクターたちを通して表現できたらならば、近しい感覚の現代の人たちに何かを与えられると信じて執筆していました。
 そのため、今の若者たちの悩みもブレンドし、さらにSNS時代が加速したからこその閉塞感も足しております。こうして書いてみると、SNSでの数字の評価や監視社会化が進んだ今も今で、匿名掲示板ノリの強かった一昔前のSNSとも、また違うカオスが形成されている。しかし、僕らのような人間が秩序側に居たとて満足に生きていけるわけもなく、混沌は混沌で喜怒哀楽に溢れているのだ。そこへ垂らされる蜘蛛の糸が残酷なくらいに細く頼りないものであろうとも。
 一方で、チャンスを掴むと一気に駆け上がれる格差を描くに、配信者としてのし上がっていく超てんちゃんの存在を唯一使える立場にあるのも、一癖二癖味付けできて大満足。
 喜ばしいことに講談社の文芸第三の方々も、もちろん書いた僕自身も出来には満足しておりまして、今後も年に1.2くらいで、まずは今年中にもう一冊出せたらと編集さんとも話しておりますが、とにかく今後も書いていく。処女作を手に取ってもらえると嬉しいぜ。


 さて、もう頭が痛くて限界です。おやすみ。
 後は読んでもらうしかないでしょう。よろしくお願い致します。プロデューサーは、「この本をきっかけに若いファンが紙の本を手に取る機会になることが素晴らしい」と話していた。頂いた感想のなかには、久々に小説を買った、さらに若い子からは初めて小説を買ったという声もありました。それはとても良いことです。

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