価値観
移動時間くらい休めるかなと思っていたけれども、昨日はまだ日記を投稿していないので、こうして移動中に書かなければと焦っている。
打ち合わせだらけで大変だけれど、もはや打ち合わせ時の隙間が数少ない他人と雑談するチャンスなので出席しないと関わりが断たれて死んでしまう。
正気を保証するのは他者しかいない。
どれだけ自身の感覚に自信が持てるかは、多種多様な人たちを見て、聴いて、話して、複数の価値観と主観を照らし合わせることにある。
感性とは、いろんなもの・人に触れること、その後の独りの時間でゆっくりと向き合い、考えることでしか養われないでしょう。映画や美術館は体験と価値観が短時間に圧縮されている。とはいえ、毎回外に出る・2時間集中するのも酷でしょうし、やはりリアルタイムでアニメを観ることが最小限な方法でしょう。面白いか面白くないか、前評判も周囲の評価も入れてない状態が望ましい。僕が特に合わないと感じるのは「面白くない(けれどもなんだか憎めない)アニメ」を観ていない人と話している時だ。
大人はだんだんと家庭や仕事に追われ可処分時間が減っていくので、評価の高いコンテンツしか摂取しなくなる。一定の人たちとしか話さなくなる。このような人たちがコンテンツ業界の上に乗り掛かっていることへ常に怒りを覚えているが、仕方のないことですね。「だって休日は娘と買い物行かなくちゃいけないし」と言われたら僕らは黙りこくるしかない。
僕の幸運は一度人間関係が定まりかけた20後半でゲームをリリースし、海外の人たちに声掛けされることが増えたことでしょう。
既存の常識や価値観に英語圏、中国や韓国が加わり、文化の広大さに打ちのめされた。一番の衝撃はインドネシアのVtuberが配信中に礼拝したことだ。あまりに二次元なハイセンスの美少女キャラクターが規律を守り敬虔に礼拝する姿、それも配信のメインでなくあくまで日常としてさらりと行われたことに、完全に僕は心奪われた。大袈裟に言えば「美しい」と認識したのです。
日本で配信中に神に祈りを捧げる、生きていることに感謝する時間なんて無い。だか国によってはそれが当たり前で特筆することですらない。言語の壁によってインドネシアの配信はめったに切り抜かれないため、その礼拝の瞬間も直接追う以外に体験できず、軽く調べたとて礼拝の瞬間に言及している日本人は居なかった。それくらい僕らは未知の何かに飛び込まないと見えていないものだらけすぎる。井の中のケロちゃんだ。
たくさんの常識・価値観・文化のなかから相対的に自身の正気と居場所を逆算する。「お前はおかしくなっている」なんて誰も指摘はしてくれない。逆に視野の狭いアンチは軽々しく言ってくるが、あれは負の感情でマイナス面しか見えてないからだ。しかし、負の世界、腐海の奥にしか手に入らないものがあり、暗い闇のなかで美しさを見つけられたら生まれ変わる可能性がある。まあ0.01%の確率でしょうけど。
そう思うと自分の過去の姿でしかないため愛おしくもあります。けど、他人に文句言うわりに映像に触れる時間も読書の余裕も少なくないか。僕はもうおっさんなのだから若者に「ちゃんとしろ!」と説教する老害ムーブもできる。
これだけ多くの文化があるのだから、誰かの正気は誰かの狂気で、逆もまた然り。「なんでコイツにファンがいるんだよ」と怒る人間には、「ある人間のファン=狂人(バカ)」に見えている。一般的には何かを応援している人を腐す方が狂っている(バカに見える)。正気と狂気の境目なんて殆ど無いんじゃないか、これだけ人が多く、なんでも許されてなんにでも縛られてしまうと。
何を書いていたのか、ぼおっとしていたので書き出しを忘れてしまった。なにぶん移動中ですからね。これから夜まで打ち合わせ、恐らくその後に朝まで原稿の缶詰め。昨晩も缶詰めでしたが体調不良で途中退室した。焦ってカフェインを多く摂った(怖くて半月ほどカフェイン断ちしていた)ことで吐き気に襲われた。今も多忙で気分が悪い。
まあ、気分が悪くたって生きていかないといけないですからね。無宗教の僕らは、信仰の対象が己の信じる美しさ、記憶に刺さって取れなくなった作品群にしか無いのですから。
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