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一口エッセイ:言語と認識の話

 自分のゲームのファンで居てくれる海外の方たちとTwitterやDMで交流するようになりました。海を越えたコミュニケーションを行うようになって、自分の視野が一気に広がったようで嬉しい。
 海外の方とのやりとりで難しい点は、なんといっても言語でしょう。向こうに、日本のオタクコンテンツが好きで日本語を学ぶガッツがあるおかげで、どうにか僕の拙い翻訳で会話になっていますけど。
 さて、言語の脳での「認識」というのは興味深い分野です。例えば、川を見たときに、僕らは頭に「川」という字を浮かべますが、これがアメリカ人なら「River」となりますよね。「川」という字は直感的な記号で、字の形でなんとなく意味がわかる感性的なモノです。対して、「River」は25文字のアルファベットで全てを表現できる英語の利便性がある。同一の対象が目に入っても、人によって頭の中に浮かべる字面が別々なのは面白いですね……という感じの話を、ウィトゲンシュタインだかが書いていた気がします。うろ覚え。

 他にも、12個の緑の中に1色だけ若干違う緑が混じっている図を見せたとき、それを唯一即答できる民族の話があり、理由はその民族たちに、この2つの緑を分けた色の名前が存在するかららしい。
 同じ人間でも認識がここまで違うのだから、最初に目に入った時に感じたモノ……つまりクオリアこそ重要な個性に思える。SNSでは、無限に他人の思考や感想が流れてくるから、そこと混じって自分のクオリアが薄れて同化する可能性も少なくない。そういう意味で、「インターネットやめろ」は、ふざけているようで真理でもあるかもしれません。


 毎日のエッセイをまとめた同人誌などを販売中です。美少女ゲームの話だけした新刊も出ました。僕の場合の
世界の見え方がわかりますね。

 先月に発売した商業エッセイ集も、よろしくお願いします。いろんな感想があり、人の受け取り方の違いを感じます。

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