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一口エッセイ:フォロワーの爹(パパ)

 中国のフォロワーから、「爹(パパ、父さん)」と呼ばれることが増えました。
 どうやら、超てんちゃんの父親で「超天爹(ちょうてんパパ)」と呼ばれていたところを、省略されて「爹(パパ)」とだけ残ったようで、これでは単純にフォロワーたちの父親みたいになってしまっている。けれども、それはそれで慕われてはいるようなので嬉しい。
 ニディガの影響で英語圏や中国・韓国からの読者も増えてくれまして、その上で彼ら彼女らには海を越えてまで応援する情熱があるので、とても純粋なメッセージをくれます。僕が悲しそうな呟きをすると「どうしたの?」「大丈夫?」と素直に心配してくれるし、「早く寝なさい」と呟くと、「全然眠れない( ;  ; )」と悩みを吐露したり「先生こそいつも遅くまで起きている!」とごもっともな注意をしてくれたりする。それがとても可愛くて日々の癒しです。「私たちのほとんどは、あなたとこのように電話(恐らくリプライ)するのが好きです」とのこと。さらに嬉しい。中には、自作のニディガグッズの写真を送ってくれる子もいる。既製品を改造してあめちゃんのぬいぐるみを作ったらしい。微笑ましい。他にも純粋な応援メッセージもあれば、精神についての相談もある。どこの国であろうと、人間関係の悩みは共通なようで、生きるのは難しい。みんなで頑張って強くなろうね。


 生きる難しさといえば、今朝はプロデューサーから「Switch版が発売したら一旦仕事を区切ろう」のような話をされ、冷静に考えれば仕事量が増加した僕を一旦休ませようと配慮してくれたわけですが、その時の僕は寝不足だからか「ゲームが発売したらもう要らない」と宣言されたと受け取って動揺してしまったのですね。自己肯定感の低さからくる愚かな勘違い。本当にバカ。  
 発言の真意に気づかず、夜までずっと「ゲームを作り終えた自分に価値は無いのか」と苦悩しておりました。たしかにテキストを書いてなければ生意気にくねくねしているキモいオタクでしかなく、見捨てられたら一瞬で終わると落ち込みまくったのですね。その後の連絡で意図に気づいたのですが。ゲームが出たら少しは休みたいけれど、まだまだ頑張っていく所存です。なにせ、こうしてリプライで応援してくれるファンが居るのだから。なんと恵まれたことでしょう。 
 間違いに気づけたのも、フォロワーたちがこんなに応援してくれているのだから、自分はいま誰かに必要されていたことを思い出せたからです。マジで昼間は自分が遂に愛想尽かされたと塞ぎ込んでひたすら壁に向かって体育座りしていましたから。 
 僕には父親が居なかったので、将来自身が良き父になれるか不安だったけれど、こうして仮にも爹と呼んでくれる方々が海の向こうに居るならば、それはもう僕の人生で何より嬉しいことなのです。これからも仲良くしてくださいね。

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