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ニディガ2周年に寄せて


 社会で行われているのは緩やかな殺人である。

 数年前、執筆活動が花開きつつあった僕は、代償としての仕事量の大きさに挫け、適応障害となって半月間、ネットすら開かないほどの幻聴に苦しんだ。

 自律神経が狂い、身体が寒いのか暑いのかわからないまま、一日中大量の汗が噴き出した。世間では人々が縮こまって凍える真冬のことであった。天井からは、「結局コイツもダメだったな」と僕を嘲笑する大人たちの声が響く。

 今回、2周年に向けての作業量、テキスト量、監修や各所への連絡・移動の多さに、終盤の僕は同様の症状が発生し始めた。かく言う今(17日・深夜)もスタジオ内で動画編集を見守りながら缶詰状態で筆をとっている。どうしてもあなたたちへ伝えたいことがあるから。

 どうにか耐え切りそうです。このメッセージが無事に投稿されているのなら、きっと二周年記念放送は無事に放送し、ニディガ展2(ツー)は開催されたのでしょう。耐えた。己に勝った。体力的なダウンを危惧して昔より健康面に気をつけまともな肉体を手に入れたこと、それに伴い精神的な成長を遂げたこともあるが、最も大きな要因は「檻の外から眺めている人間たちへの意地」だ。

 150万という数字を達成し、2年目も好調なスタートを走り出した拙作は、喜ばしいことにこうして多くのファンに愛され、たくさんのクリエイターたちに支えられている。けれども、純粋に応援してくれているファン(この作品にピュアな視線を向けるのもどうかと思うが)にも、確実に「破滅」を望む者……いや、この世界の誰しもが等しく「それはそれとして他人が破滅すると面白い」という感情を抱えていることを忘れてはならない。

 ヒットの裏で、原作者が欲に溺れて金銭や異性関係で破滅したり、仕事量やプレッシャーに押し潰されて挫折する。「口には出さないだけ」で、みんな見たいといえば見たい光景でしょう。せめて、そんなつまらない最期にはしたくない。大切な原動力の一つ。

 被害妄想じゃない。もう長年ネットに居たからわかる。所詮、僕らは「檻の中の猿」でしかない。猿が芸に成功したら拍手を贈るし、トラブルで滑稽な格好のまま倒れたら指をさして笑う。観客たちは二つの心が両立している。

 超てんちゃんとあめちゃんは同一人物だ。超てんちゃんが示すネット世界への慈愛の心も、あめちゃんが軽蔑するネット民への憎しみも、一つの人格を別々の角度から見ただけに過ぎない。人は善悪を簡単に切り離せるほど強くはないし、だからこそ思考と成長ができる。

 2周年に向け、さすがにこれは危ないのではないかと、一度だけ真剣な救難信号を投げた。すでに僕の脳内には幻聴が反芻しており、耳を塞ぎ、目を瞑り、精神薬を飲もうとも止まない嘲笑に怯え続けていた。

 が、彼らは「壊れるまでやってみよう」という態度を取った。これは何も嫌がらせやパワハラではない。仕方がないのだ。彼ら彼女らには各々の仕事と責務があり、それらを全うするために、全員がただ自らの責任を果たすためにこちらへ仕事を投げる。皆、悪意があるわけではない。社会で生きるためにそう動かざるを得ないだけで、仕方がないけれど、本当にそんなことをしたくないけれど、各々の言い分とアリバイでガードしながら殺人を行う。

 僕もまた、今回の企画で依頼したイラストレーターや動画編集者へ、できる限りの配慮やスケジュール調整をしたつもりですが、それでも特急料金や急な差し込みなどで頭を下げつつも、無理なお願いをすることもあった。僕もまた誰かにとっては殺人犯であることに変わりはない。たとえ無自覚でも。最大限、優しくあろうとしていようと。僕の周囲も優しい人間たちに変わりはないのだから。これは綺麗事でも社交辞令でもない。本当に優しく、暖かい人たちだ。だが、それ以前に社会人だ。自分含め。


 この世界では、時間とともに誰もが大人となり、社会という巨大なシステムへと組み込まれる。

 「生きることは戦うことでしょ?」とローゼンメイデンで語られた。

 僕の生育へ最も影響を与えた作品、仮面ライダー龍騎のキャッチコピーは「戦わなければ生き残れない!」だった。

 もし、今回の二周年の重みで潰れ、記念放送も行えず、ニディガ展2(ツー)も開催されなかった場合、檻の外にいる観客たちは「所詮は沖縄のバカのラッキーヒットだったな」とサッと退散していく。次の檻へと移る。

 生きることは戦うことだ。なので、僕は社会や観客たちの緩やかな殺人へ抵抗しなければならない。

 戦わなければ生き残れないから、戦うしか選択肢はない。

 あなたたちも、きっと数年後には大人になる。社会に混じり、否が応でも殺し殺されのバトルロワイヤルへの参加選手となる。

 残念ながら、残酷ながら、戦うしかない。檻の外にいる「安全圏のお利口さん」たちは、中でもがいているサルの苦悩へ真に寄り添うことはない。自分の苦しみは他者には理解されない。他者の苦しみも僕らは正しく汲み取れやしない。

 睨み続けろ!

 あいつらも客観的に見れば檻の中に居る。本当はどちらも無機質な檻に閉じ込められていて、鏡合わせで互いを睨み合っているんだ。

 両手を重ねて神に祈ろうとも誰も助けはしない。その手で筆を動かさねば、その足でどうにか立ち上がらねば、絶対に己が救われることはない。

 この世界は確実に狂い、病んでしまっているが、そこへ生まれ堕ちた以上は生きていく他ない。戦わなければ死んでいく。僕はまだ死にたくないから、自律神経の乱れからくる手汗塗れの指で、この文章を書きしたためている。

 

 

 















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