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一口エッセイ:やっぱり"萌え"たいんだよなぁ……


 ヤンジャン特別読み切り『白銀ノエル大好きおじさん』のセリフ、「いやいやおじさんはやっぱり…萌えたいんだよなぁ…」というセリフについて考えています。


 そう、"萌え"たいんだよなぁ。「推し」は能動的すぎて違う。「尊い」もそんな神的で宗教チックな感情は重々しくて適していない。推す、尊いには社交性があって「わたしの好きな人はこんなに凄いんだよ!」と布教の意味合いを多分に含んでいます。それ自体は良いことです。好きなキャラクターの何が良いかを他者へと伝える。話題の共有にもなれば売り上げや人気にも貢献する。口コミの力が強まったSNS時代にふさわしい表現に思えます。
 が、違うんだ。おじさんはやっぱり……"萌え"たいんだよなぁ。
 「萌え」という概念は、どこまでも内的です。オタクらしく自閉的な表現と呼んでもいい。別に他者の存在は関係ない。ただ目の前でわちゃわちゃ動く美少女キャラクターに対して、「かわいいね……」って顔面を崩してバカ丸出しの表情を浮かべているだけ。それ以上でも以下でもない。「かわいい」には限りなく近いけれど、もう少し深夜アニメのようなコテコテな演出に対する独特な湧き上がり方の感情。いかにも「萌えてください」とお出しされたものに対して、一切抗わずに受け入れる漢の姿勢。細かいことはどうでもいい。口から出すのは「萌え〜〜〜〜w」のみであり、それを他者にどう認識されようがどうでもいい。難しいこと言うまえに、おまえも萌えたらどうだとしかならない。


 たとえば、このさくらちゃんなんてどうでしょう。「推せる……」「尊い」「エモい」「かわいい」。やはりどれもしっくりこない。そう、ここで込み上げてきた、ムズムズする高揚感とちょっぴりの恥ずかしさと二次元キャラクターに捧げる届かぬ祈りの切なさ。それらのブレンドが「萌え〜〜〜w」なのではないか。
 そういうことなんでしょう。これからも萌え散らかしていきます。この世界に萌え萌えな二次元キャラクターが生まれ続けていくかぎりはね。

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