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一口エッセイ:幾原作品と構造からの脱出

 いつだって、僕らは「構造」の中に入れられて、そこで役割を演じている。それは、インターネットだったり、社会だったり、いろんな形であるけれど、与えられた場所の居心地の良さに甘えて、変化を恐れるようになってしまいます。
 人は、生活の変化を嫌がるものらしく、地位や給与、人間関係に住まいなどを崩してまで、新たな挑戦を行う勇気は、なかなか生まれない。人間は偉くなればなるほど、引き上げた生活水準を落とすのは難しくなります。そうなると、ますます決められた構造の箱から出ることを拒むようになる。
 そうして、狭い箱庭でいつまでも大人を演じているから、いずれ弱さが露呈して、若い光に打ち負かされることとなります。ある意味「若者に立ちはだかる大人」を全うし、役目を演じきったとも言える。あとは、箱から脱して自由へ飛び立つ若者の背中を、遠くから眺めることしかできない。そうなる前に自らの足で抜け出すべきなのですが、終わりとわりきって役割に落ち着くことも、また人生なのかもしれません。人は、いずれ若さを失うのだから。

 幾原監督の作品は、つねに構造から抜け出す話を描いているように思えます。作品によって見せ方は大胆に変わるものの、登場人物たちはつねに箱庭を出ようとするし、出れなかった大人が永遠に囚われる。繊細な演出が多くて複雑に感じるものの、こうして結果だけ見ると、伝えたいことはごくシンプルであるようで、そんな明快さが特に僕がイクニ作品を好きなところなんですね。
 インターネットで、死ぬまで王子様ごっこをしていたくはないものです。



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