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僕はアナタじゃないよ

 僕はアナタじゃないよ。
 こうして色んなことを投稿しているうちに、趣味や嗜好をある程度把握しちゃっているうちに、だんだんと自身と他者を重ねてしまう気持ちは痛いほどわかる。
 だけど、やっぱり僕はアナタじゃないよ。
 重ねてしまったけど、人は他人になれないから、徐々に徐々にズレてしまって、仕舞いには齟齬へ苛つきを覚えてしまったのでしょう。自分の欠点と相手の長所の差が恐ろしく、攻撃してしまうのでしょう。「俺ならこんなことしない」と怒ってしまうのでしょう。そんな言い草めちゃくちゃだと理解しているくせに、気づかないフリして強がってしまう。
 申し訳ないけれど、違う人間なのだ。人間は複雑なのだ。「赤色」と言われて連想する色も完全に同じではないし、「カッコよさ」も「陰鬱」のラインも似ているようで全然違う。センスも知識も近いようで違う。部分的な一致から、脳内パターンに当て嵌めて一方的に融合してしまっている。引き剥がせないまま己との乖離に耐えきれなくて、支離滅裂になっていく。
 「なんでそんなダサいことをするんだ」。それは身内以外の視点では見えない事情があり、カッコ悪くてもやらなければならないこともあるのだ。
 「どうせ異性やお金目当てだろ」。誰だってチヤホヤされたいしお金はあるに越したことはない。けれども、それらに固執しているのはそちらの方で、皆そんなもの以上の誇りや憎しみに突き動かされて創作しているのは、実際のところ気づいているだろうに。
 「人気になって変わってしまったな」。経験を積むだけ人は変わる。誰もが環境で変化するし、それは安直な善悪で測れない。正しくは「アナタの状況とは変わってしまった」のはずだ。
 残念だけれど、僕はアナタではない。
 執着したって構わない。脳味噌に刻み込まれた憧れも憎しみも、そう簡単に捨て切れるのであれば人類はもっと幸せになれる。やめろと言って止まるものでなく、根本的に一人一人がアイデンティティを得てコンプレックスが失くなる以外に解決策はない。そんな都合の良いことはあり得ない。だから、どうしようもないのです。仕方のないことだから見逃さざるを得ないけれど、それでも僕はアナタじゃない。
 僕の人格への共感も、作品や文章からの優しさも。僕だって他者の創作やエッセイに惹かれることは多々ある。自分の感情との一致に喜んでしまうこともある。しかし、同じじゃないし、僕だけに対してのモノじゃない。私信じゃない。向こうからすれば僕はファンA、アンチA、読者Aでしかない。通りすがりのモブでしかないし、そうでなくてはいけない。
 自己は他者じゃない。急に突き放されて、残酷に想う人もいるかもしれない。だけど、やっぱり融合してはいけない。僕は、これからも創作とエッセイを続けていくだろう。そのたび、読者の期待と想像を越えなければならない。時には裏切ることもある。つまり、どんどんアナタではなくなるから。互いの長い生涯の中で、僅かにどこかがくっついて一瞬だけ交差し、勘違いしてしまった。そんな瞬間に囚われてはいけない。
 僕はアナタじゃないよ。けれど、僕は何かを観るのが、読むのが生きがいですから、もしアナタが何かを投稿しているかぎり、僕がアナタを観測し、共通点や不和を見つけて勝手に楽しむことはあるでしょう。時の輪の接する場所で会いましょう。

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