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初夢と絵コンテ

 もう年明けから一週間以上経っているわけで、今さら初夢と扱っていいかはわからないが、あまりの激務で自然と眠ってしまい、半端な眠りでようやく夢を記憶したまま起きた。
 夢の中で、『八十八ヶ所巡礼』のマーガレット廣井が目の前に居た。両腕に般若心経の刺青を入れていることから知り、曲も仏教をテーマにしているものも多く、最近MVなどを観るようになったからでしょう。般若心経の刺青はマジでカッコいいからたまに写真を眺めている。顔ファンならぬ「腕ファン」である。

 とはいえ、そんなに詳しいわけでなく、写真とMVでしか知らないので、夢へ登場したマーガレット廣井の人格は適当もいいとこ。眠そうにしている僕に対して、見兼ねたマーガレット廣井さんが「じゃあ、まいばす(けっと)でも行く?」と声をかけてくれた。僕は「八十八ヶ所巡礼もイオン系列を利用するんだなぁ」と考えているうちに、再び作業は戻るため目が覚めた。スパロボでめちゃくちゃ真面目な熱血漢にされた甲児くんのような殆どオリキャラ状態だ。ちょっと申し訳ない。
 この夢が初夢として縁起が良いのか悪いのか。少なくとも般若心経の精神に遭遇したのだから、ありがたい始まりとも言える。

 
 それはそれとして、今日の作業はもう地獄も地獄。テキストも書きつつ、ついに絵コンテも僕が一からやることになった。それは望んで行っていること……でもあり、現場がそれなりにいっぱいいっぱいであるからでもあるのですが、自分の理想の映像を作ってもらうのだから、自身が絵コンテを切るのも必要な行為ですね。
 富野由悠季の『映像の原則』を読むと、有名アニメ監督である以前に、「アニメーションを毎週納品させるサラリーマン」としての富野監督が観られて感動する。もちろん書いてある内容は非常にゆっくりとしか理解していっていない。

 Amazonで四千円くらいで買った折りたたみ作業テーブルへ齧り付き、拙いながらもアニメーター・イラストレーターに伝わるよう願いを込めて愛用の万年筆を走らせる。孤独な執筆作業に唯一寄り添ってくれるのは、いつも万年筆だけだ。

 ショートアニメの脚本をやりつつ、また別の映像では拘りを抑えきれなくなり絵コンテも担当。ニディガでの役職は当初「企画・シナリオ」でしたが、発売後はそれに加えて「総監督」も増えた。もう絵コンテからなんやらまで手を出したらたしかにそうなる。
 赤子同然のイメージ図を送ると、優秀なアニメーターの方々がサッとラフをくれる。自分の頭の中にしかない画面が現実上に表面化されていく過程は至福だ。死ぬほどやつれる代わりに喜びも大きく、そのせいで文字通り寝る間も惜しんでペンを走らせてしまう。今日はこれに加えてシナリオ会議もあるので脚本も書いていく。今回の絵コンテは予定通りであれば1月中旬、シナリオに関してはそのタイミングでの小出しもありつつ、大きくチラ見せできるのは4月くらいの想定。あくまで全て滞りなく進行さればの話……。こうして何をやっているのか不透明なまま日記を追うのも苛つくでしょうし、答え合わせの目処は明記しておく。
 さて、今までも漫画原作のネーム(基本は台本形式だったが)やイラスト発注の指示で、ちょいちょいラフを描くことはあったものの、ここまでガッツリ「映像」を描き切ったのは初めての経験となる。こんなことを突然一からやるのか……と途方に暮れつつ、それこそゲーム製作事態も何も知らない0からのスタートだったわけで、とにかくやらないとわからん。
 なので年末年始に一人旅にて写真をパシャパシャと撮り、趣味でこれまで読んできた絵コンテ集(とくに細田守『デジモンアドベンチャー 絵コンテ・細田守』が好き!)を片手にして、それらを参考にして見よう見まねでやれるだけやっていく。そのうえで一応の完成、「映像の設計図」としての役割を果たせるであろうものは書き上げた。えらいね。今から次はノンストップでシナリオと打ち合わせです。また血尿がでるな。


 公開後は、自分なりに絵コンテをどう描いたか、そこで何を理解したかを日記にしてみようと思う。特に隠すことはないし、熟れたプロでなく、「全くの素人が一から試行錯誤した過程」を見せることに何か意味があるかもしれない。無いかもしれない。僕は、そういう極々一部の人間だけが何らかの偶然で何かを感じとってしまうネットのスラム感が好きなんだ。
 なんにせよ上手くいけば一月中旬。その先は4月頭くらい。その間に2月は小説が出版される。まだ書影が登録されておらず宣伝は後回しですが、実はAmazonで既に予約できる。よければ探してみてください。後日、自分で貼るけれど。
 これはやはり作業用の部屋が必須になってきたので、やはり昔シェアハウスしていたメンバーと再びルームシェアを行い自宅とは別に一室を作業空間とするのは良策だ。夢でマーガレット廣井さんを見れたし、まあ2024年はそこそこ幸先が良いこととしましょう。

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