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最終話 俺の夢

 改めて十年前の写真を開く。

 でかでかとバカ丸出しの字が書かれた封筒はKADOKAWAのラノベ新人賞宛。要するに、十年前……成人したてくらいの頃の自分がライトノベルを書き上げてポストへ投函する瞬間である。
 結果は言うまでもない。もし、選考に合格していた場合、先週出版された『蜘蛛』は、初の商業小説作品扱いでは無かったのですから。とはいえ、十万文字書き上げただけでもすごい。若さそのもの。MF文庫Jに送った理由は、落選したとて必ず感想がもらえるから。つまり、僕は自身の紡いだ文字が全国書店に並ぶことより、まずは誰かに自身の作品を読んだもらった証が欲しかったのです。
 で。評価点も当然悪い。もうボロクソである。文章のテンポや構成などは若干点数が高かったものの、それもどこか褒められる点を無理やり探した結果ではないか。悲しい。が、自分でも一発で到達できる道とまで慢心しておらず、先述した理由から、まずは誰かに読んでもらえたこと(ほとんどバイトが読み飛ばしたかもしれないが)、本当に何も持っていない自分でもとりあえずパッションで一冊分書き上げられた事実で十分満足だったのだ。
 この頃、僕にはインターネットしか無かった。無職、家無し(ネットで見つけた友達と殆ど寄生の形でルームシェア)、実績無し。敢えて言うならブログがちょっぴりウケて、そこそこ読者やフォロワー数が増えてきたあたりか。こうなると自分にはブログ(テキスト)を書くこと以外に価値がないのだから、その先にある出版を目指さなければ野垂れ死ぬと確信していた。コンビニバイトも続かず、社会に馴染むことは諦めていた。
 といった算段から、なんにせよ体験としてまずは新人賞に出さねば始まらないと、どうせアニメとゲームとネットサーフィンと自慰(同居人がコンビニバイト終わりに持ってきてくれる廃棄弁当を食べていた)しかしていないのだから、時間は無限にある。時間がたくさんあったとて10万文字書き上げるだけですごい! 思い返すと結構なことをやっている。のちのち何冊も本やシナリオを書いていくうえで「一冊分は苦しくない」と思い込める芯が刺さった。良いことです。
 新人賞応募は、この一回で潰える。半年後くらいか、ブログが軌道に乗ったのか面白がったおっさんの編集者たちがメールしてくるようになった。最初に声かけしてくれたのがKADOKAWAの編集だったので、じゃあ応募しなくてもいいじゃんと思ったのだ。別に自分の書いた文章が読んでもらえる、何もない自分に生きる価値が付与されるうえで食っていけるなら何でもよかったので、賞を獲りたいといった真っ直ぐな気持ちは一切なかった。なんなら、通常じゃないルートで作家になる方がカッコいいと確信していたし、僕らしいとも思っていた!
 結果的に、「ブログをたくさん書く→本や漫画原作の機会が与えられる→その経験を基にゲームを企画し総監修やシナリオを担当する→(元は)ゲームの外伝的な立ち位置の文芸小説を書く」という、広いネット世界でもなかなか例を見ない道筋を辿って、憧れの小説家になったわけである。約10年……まあギリギリ若者と呼べるうちに夢は叶ったのではないか。嬉しいことに売れ行きもいいと編集さんから報告があり、この調子で重版して欲しい。重版すると出版社も儲かるわけで、こちらの文章に賭けてくれた編集側にも利益が生まれる。それは嬉しい。本を出版するだけでは物足りず、増刷まで願うようになったのですから贅沢になってしまった。
 しかし、10年前書いたラノベがどれくらい酷いか今確認したらどうなるんだ。恥ずかしくてその場で腹を切るだろうか。意外と悪くないじゃんと評価するだろうか。9割前者だ。幸い、昔のこと過ぎてデータすら残っていない。紙に印刷したものなので原稿も灰でしょう。技術や打算の無い、ある意味でピュアな勢いだけの素人ライトノベル。読みたくない……。逆にMF文庫の選考の方が、今回の『蜘蛛』を読んだら5点(5段階評価)くれるのだろうか。応募作は各項目1〜3しかもらえず、奇しくもろくに学校へ通っていない僕の通信簿とまんま同じであった。なんなら3もらえただけでも飛び上がるほど喜んでいた。テストもまともに受けず、学年全体の下から5番目であった僕の通信簿は1か2しかなかったし……。
 10年、10年か。ブログを書く習慣があってよかった。下手にバイトが続いたり、友達が居たりしたら満たされて別の道に行くところだった。僕が運が最も良かったことは、間違いなく「本当に何も無い状態」に追い詰められたことでしょう。今は得たものが大きすぎる。こんなに立場や実績を抱えちゃって身動きできなくなっていたら、死ぬ寸前のアカギに笑われちゃうよ。

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