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一口エッセイ:輪廻転生

 スペースで喋っていたら、不意に「輪廻転生を信じますか?」という質問が来た。死生観に対するシンプルな問いですね。
 さて、この質問に「信じる」と答えた場合、僕はインド系の宗教を信仰している率が高くなる。ヒンドゥー教や仏教、まあ細かく言うと難しいですが、もし僕が「輪廻転生を信じています」と宣言すると、その場合僕は修行を積んでいないと矛盾する身になるわけです。なぜなら、死んでも魂は次の場所へと生まれ変わると考えているのだから、基本的に魂を磨いてより良いステージへ導くことが目的となる。そのためには、悪行を招く誘惑や執着を捨てるために修行を積む必要が出てくるでしょう。因果の法則を悟るなり、坐禅をするなり、まあとにかく大変な道を自ら歩んでいく。すべて極楽浄土へと向かうため。法華経では輪廻を繰り返してひたすら菩薩行を極めたりもする。仏教内ですら宗派によって死後の解釈はバラバラですが、どのみち厳しい修行が待っていることは変わりない。
 代わりに、「死」の恐怖から逃れられる特典がつく。輪廻が回っている以上、死も通過点にしかすぎないのだから。死ぬのが怖くて、根源的な恐怖から目を背けるために、趣味や労働に注力するより、いっそ魂を磨いて死に立ち向かった方が合理的な可能性もあります。皆が怖くて仕方ない「死」がただの通過点になるのですから、生活を捨ててでも信仰に生きることはおかしくありません。なんなら、死が怖いくせにそれを誤魔化すだけに終始する人生の方がバカらしいとも言える。答えは死後にしかわからないし、死後の世界は誰も語れない。
 はっきりと「輪廻転生はある」と答えきれるほど強い宗教観はありませんが、それはともかくできるだけ魂は綺麗にありたいものですね。くらいの温度感になるでしょう。これは嘘偽りない本心です。僕は一般的な善悪で言えば間違いなく倫理観の欠如した悪でしかありませんが、悪なりに魂を美しく磨きたい願望を持っている。将来的には様々な執着を捨てたいものですが、まだまだ長い旅の途中でしかない。と言った回答になりますかね。
 さて、以前Twitterで「⚪︎⚪︎(ゴシップ拡散系アカウント)は、将来地獄に堕ちるから気にしていない」といったツイートが流れてきました。細部はうろ覚えで申し訳ない。日々、多くの人間の不祥事を晒すことへ躍起になり、ネット民の悪意を煽ることで日銭を稼ぐアカウントへの皮肉ですね。この呟きに多くの人が賛同していました。
 もちろん、僕もゴシップ系のアカウントは好みじゃないし、そのアカウントを楽しんでゴシップに騒ぐ人たちのことも避けている。似たような距離感のネットユーザーは少なくないと思いますが、「地獄に堕ちる」からこいつらを憎みすらしない、という意見は面白い。はじめに因果応報ありきの考え方ですよね。
 別に揚げ足を取るつもりもないし、ここで言う地獄はなにも宗教的な霊界でなく、人格が歪んだことで生じる様々な問題も指しているでしょう。他人の不幸を自身の承認欲求とお金に変換する日々を繰り返している人間が、正常な精神を保てるわけがなく、遠くない未来で破綻していくだろうと。自分もその可能性は高いのではと感じますが、本当の意味で「地獄」であるなら、この意見は死後の世界を信じていることになる。うっすらと浸透した仏教思想が下敷きだと思われます。輪廻転生の大きな流れの中、人を売って穢れきった魂は死後は地獄へ割り当てられる。悪行の報いを何千年も受けるのだ。
 ゴシップ系アカウントたちが、良識あるネットユーザーから見て地獄に堕ちる理屈はわかる。そうあって欲しいという願いもわかる。けれども、もし賛同者たちが本気で天国・地獄、輪廻転生を信じている場合、彼ら彼女らもまた善行を積んで悪行から身を離すため修行に耽るべきではないだろうか。長い長い悟りへの道を進むのだから、SNSでのんびりしている暇なんて無いはず。たとえ大した悪行に手を出してないとはいえ、かといって悟れるほどに修行を積んだわけでもない。一般人が何も悪いことをせずに死んだとて、それだけで辿り着けるほど極楽浄土や涅槃の判定はゆるくない。なら、そもそも誰も修行なんて必要としないわけだし。
 と、まあこれは極論を書いただけの話ですが、悪人が死後裁かれることを期待して生きるのなら、自分も気高く強くあらねばならなくなる。それはとても良いことですね。が、こうなると善悪とは何かの話にもなる。他人の不幸を金にすることが悪なら、その不幸を肴にする程度の人、拡散したり言及したりするくらいの人も悪か? 逆にSNSにおける善行なんて存在するのか? ゴシップ系アカウントが暴露したおかげで救われた人間も居る事実は一応善にカウントすべきか?
 途中で書いた通り、誰も死後を体験していないのだから、正しい基準や判定なんてわからない。実際、悪人とされている人間も、それらを避けながら生きる一般人も、死後は同じ枠で括られるかもしれない。死後の世界なんてなく、ただ土へと還る自然の摂理に基づく考え方だって一般的だ。こうして見ると何もかも曖昧であるが、明確な答えがないまま誰もが現世でもがき、死を意識したりしなかったりして暮らしていくのだから、世界はランダムにいろんなイベントが起こって面白いのでしょうね。
 

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