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エッセイ:イクとき首絞めてよ

 セックス時に必ず首絞めプレイをお願いするという女性の知り合いが、何名かおります。
 曰く、「いざ自分が死んだら責任取ってくれるくらいこちらを愛しているのが伝わるから」らしく、この関係は素晴らしいことだと思います。好きな人が殺してくれて、そのうえで責任取ってくれるなら本望だと。むしろ、それを望んでお願いしているわけで、これは「理解のある彼くん」のレベルを超えて、「殺してまでくれる彼くん」の登場ということですね。
 他にも、生命の危機による脳内麻薬を感じることで、さらに性感の快感を上げたいからという理由もありました。この考えも、分かります。絶頂が性的快感と臨死体験とふたつの意味をもつわけで、これは忘れられない体験になるでしょう。愛している人から首も性器も刺激されて、報酬系は狂ったように脳内分泌を放出。通常時では決して得られない心地良さに狂う狂う。
 そうなると、僕だって首を絞められたくなってくる。僕のような惰眠を貪るだけのゴミムシを殺すことで、ちゃんと人間一人殺したと同じ罪を背負ってくれる方がいるとすれば、それはなんと喜ばしいことなのでしょう。僕が人間として生きた証が、殺人によって証明されるのです。これはドラマチックなことだ。
 子供の頃、似たような遊びが小学校で少しだけ流行りました。わざと心臓をドンって押したり、それこそ首を絞めたりして、相手をちょこっとだけ気絶させるという、子供しか考えつかない、幼さゆえの危険な遊び。例にもれず、僕もこの遊びの犠牲者となり、友達に首を絞められたことがあります。
 「やめて、やめて」と叫んでいる間はまだましで、限界になるともう声も出せない。「あっ、これはヤバいな」と思った時には遅くて、目の前が真っ白になったと感じた後は、ぷつっと意識が途切れる。
 それを確認して友達は腕を離し、しばらく僕の様子を見守り、息を吹き返したのを聞いてホッとすると、「あの世はどうだった?」と訊くわけです。生命が一瞬停止するといった危険すぎる独特な感覚を表現できず、必死の思いで生還した僕は皮肉を込めて彼らに言うんです。「ちゃんと殺してくれても良かったのに」と。

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