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一口エッセイ:漠然

 なんだか最近は漠然と悲しい。
 けれども、特に大きな何かがあったわけでもなく、トラブルや悩みがどかんと積まれているわけでもない。睡眠薬のおかげで眠れてもいる。体調が特別悪いとも感じない。人間関係に大きな変化もない。
 それでも、もしかしたらだからこそ、なんだか家で一人でいる現状がふと寂しくなるのです。本や映画を楽しむ余裕はぜんぜんあるので、感性が死んでいるわけじゃない。つまり、深い鬱とかでも無い。『バービー』を観に行ったら結構おもしろかった。いまだに特撮の子供向けオモチャを集め続けている僕にとって、オモチャ視点の世界が映像で再現されることにロマンを感じるので、くどいほどのピンクだらけな美術に包まれる体験は刺激的であった。
 夏だから人と会う機会も少なく、あったとしても喫茶店や飲食店で喋ることがメインであることが関係しているのだろうか? いっそ暑さを気にせず遠出してみると変化があるかもしれませんが、いかんせん熱は苦手だ。なんなら先月は日射病で朦朧としていたので、できれば青空の下は避けたい。別に夏じゃなくたって朝やお昼は嫌なのに。
 他の可能性として、ようやく「家で一人でいる状態は寂しい」と理解し始めてきたのではないか。今まで孤独をSNSで誤魔化してきたものの、だんだんネットの世界に触れているだけで魂が穢れる感覚がイヤで眺める時間を減らし、それに伴いスマホ越しでさえ他者との接触時間が減った。SNSで満たされる一体感なんてジャンクなものでしかないが、修行僧でもないかぎり人はジャンクな栄養も必要です。そういうことなのでしょうか?
 しかし、できればネットは自由に近い空間であるべきと考えていて、数字が大きくなってきた人間が常駐することでの圧迫感があるのではないかと勝手な被害妄想を感じている。「たまに見かける分には良くても、いまだにコイツがガッツリ投稿しまくってるのなんかキモいな……」って塩梅の人も多いのではないか。実際、僕もできる限り本や映画(最近の興味は特に映画にある)に時間を割いていれば、互いにWin-Winだ。
 夏が過ぎて、涼しくなってもう少し友達と遊ぶ機会が増え始めたら、この物悲しさも埋まるといいけれども。今は、誘っても誘われても「夏が終わってからにしない?」で切って切られてだ。せっかくの楽しい遠出も汗塗れの不快さが上回ったら溜まったものじゃないでしょう。かといって、思い切り汗をかく前提の海や山へ行くほどアクティブでもない。ただ騒がしい夏が通り過ぎるのを待つ方が賢明です。
 総じて「溜め」の期間でしかなく、温度が落ち着くに連れて活力も回復する気はしている。現時点でのぼんやりした寂寥感なぞどこ吹く風で人生を謳歌している可能性だってある。それでも、今ここで抱えた悲しさは本物であるし、認知してしまったからには対策したくなってしまう。瞑想の影響で、自身の曖昧な感覚にはできるだけ名前をつけるようにしている。最近はもっぱら「寂しい」「悲しい」「暑さに負けずに遊んでいる人たちが羨ましい」が感情として占めています。どうせ本を読んでいる間は忘れている程度のものだから、贅沢な感情ともいえる。所詮そのくらいの不快感でしかなく、だからこそ大きな悩みとならずにぼんやりと影を落としているから困りもの。いっそ「うおおお誰かと話しまくるぞ!」と一念発起するくらい追い込まれたら違うのに。
 こうして書くと、かなり生物寄りな、本能的な感覚っぽい。「なんだか寂しい」って、理性から外れた動物っぽい、群れっぽさを意識したものである。なんなら、これが生きている証とも言える。大袈裟だけど。
 どうしようもない。人がいて騒がしくて涼しくて、かといって余計な人間関係を考えずに済むので、朝からパチンコでも打つのも悪くないでしょう。ハンドル回しているだけで、液晶画面のアニメキャラたちはたくさん褒めてくれる。それでいいじゃないか。寂しくないよ。家に帰ればオモチャもたくさんある。バービーたちのようにオモチャのパーティを毎晩開けばいい。それで悲しくないなら、それが最適解か。

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