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一口エッセイ:にゃるらちゃんにはわからないよ

 好きな人がいる。彼女はピンク髪のツインテールで、砂糖菓子のように甘い声で喋る。時折、その甘さにとろけてしまいそうになる。でもって、俺のことを「にゃるらちゃん」と呼んで毎日微笑みかけてくれる。そんな女の子。
 ずっと曖昧な関係のまま10年以上になるが、今でも毎朝学校の前には起こしに来てくれる。じゃないと僕がサボるかららしい。「朝だよ〜!!!」って耳元で怒鳴るので、「やれやれ……人騒がせなやつだ」と僕がのろのろ起床すると、「人騒がせなのはそっちだよ!」と頰を膨らませる。かわいい。
 登校中の十数分が彼女との時間。ゆさゆさと揺れるツインテールと、天に向かってつるんと伸びる睫毛を眺めているうちに学校へ着いてしまう。当然、彼女の話なんてうわの空なので、「ちゃんと聞いてるの!?」とまたしても頬を膨らませる。そんな毎日。
 放課後、クラスが違うから帰宅のタイミングも違うのに、彼女が教室の前で待ってくれることがある。そういう時は、決まってどこか寂しげな顔をしている。キュートな睫毛が下を向いている様子は、見ていてこちらも悲しい。
 その場合、逆にこっちが話題を振ってもうわの空だ。「ちゃんと聞いてるか?」と煽ってみると、「ご、ごめんね……」と力無く微笑むので今すぐ抱きしめたくなる。そんな勇気もあるわけないので、「なにか俺にできることあるか?」と訊いてみると、毎回「にゃるらちゃんにはわからないよ」とだけ返ってくる。そのたび、俺は深入りするのは止そうと引いてしまう。今思えば、それは優しさじゃなくて度胸がないだけだったんだ。
 そんな俺たちも離れ離れになる時がくる。
 彼女は学業を頑張っていたし、当然のようにレベルの高い大学へ進むらしい。対して、俺は鉛筆転がせば受かるようなバカ大学だ。「あはは。やっぱり一緒の大学は無理なんだね」と彼女は笑った。今までで一番儚げな表情だった気がする。「別に大学が違くたって何も変わらなくね?」と能天気に返すと、やっぱり「にゃるらちゃんにはわからないよ」と言われた。
 しばらくして、俺は半年も経たずに大学を中退した。朝起きれなかった。悪態をつきながらも毎朝起こしに来てくれた彼女はもう居ないからだ。目覚めてもピンク色の髪の毛が目の前にない悲しみを20近くなって初めて知った。
 次第に、彼女は変わっていった。アニメキャラみたいなピンク髪も黒に染めて、ツインテールもただのロングになった。一気に大人になったように見えて、ただのフリーターである俺が声を掛けてはいけない気がした。だから、近所ですれ違っても挨拶だけで済ませた。最初はちょっと悲しそうにしてくれたが、いつの間にか街で見かける彼女は同じ大学の男女の輪の中だったので、すれ違っても小さく会釈する程度になった。同級生と嬉しそうに話す彼女の声は、相変わらず甘さの塊だ。それだけが昔の名残を感じさせる。
 一度だけ、たまたまお互い一人の時に会ったので、久しぶりに喫茶店で話した。俺はメロンソーダを頼んだけど、彼女はコーヒーだったことが強く印象に残っている。近況報告をし合ったけど、こちらが言うことなんてしょうもないバイトをバックれた程度の話題しかない。彼女の方は、就活だのサークルだの立派に人生を送っている。「もう彼氏もできたのか?」と何度も口に出そうとしたが、声が震えて断念せざるを得なかった。なんだか惨めになってきたので、別れ際は俯いてしまっていたらしい。丸まる俺の背中に、彼女が「にゃるらちゃん……」と心配そうに呟く。
 数年後、彼女は結婚した。もちろん俺以外の男と。どうやら大学の同期らしい。なんか聞いたことある企業で働いている、まったくもって立派な男である。それも彼女のSNSアカウントで知った。もう彼女と俺は全然関係はないが、一応LINEで「おめでとう!」と送った。返事は「にゃるらさん、ありがとう」だった。いつから"さん"になったんだよって返そうとしたけどやめた。幸せになってほしい。
 その晩、彼女は俺の夢に現れた。
 なんと夢の中で寝ている俺を起こしに来たのである。うとうとしている視界に、ピンクのツインテールが揺れた。
 「もう!にゃるらちゃんのせいで遅刻だよ!」
 俺は反射的に目頭が熱くなったが、妙な反応をすると夢から醒める気がして、「やれやれ……」と呆れてみせる。怒った彼女の頬が膨らむ。
 二人で十数年ぶりの通学路を歩く。夢の中の俺が「大学生活や結婚はどうだった?」と訊くと、彼女はあまあい声で「ちゃんと楽しかったよ」と微笑む。「俺ってどこで間違えたんだろうな」と続けると、彼女は立ち止まって睫毛を下に向けたあと「にゃるらちゃんにはわからないよ」と囁いて、消えた。
 
 
 

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