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エッセイ:人は変わっちゃうのです

 揶揄する意味で「○○変わったよな」と無責任に言う人が苦手です。なぜなら人は変わるから。どんな人間だって環境が変われば自ずと変わっていく。そう言うあなただって、はたして数年前の価値観と同じまま生きているのでしょうか? 仮に不変であるなら、それはポリシーでなくて停滞ではないでしょうか? 変わることのなにが悪いでしょうか?
 いろいろ詰め寄りたくなりますが、こういう発言の一つ一つに重みなんてありませんから、なに言ったって無意味なのですね。そもそもこういう皮肉って成長への嫉妬だったりしますから。出る杭は打たれる。人の活躍を見たら足を引っ張る。
 当然、貫いたほうがカッコいいことだってたくさんありますよ。近代化する明治の時代でも、斎藤一は悪・即・斬を死ぬまで貫き通すから素晴らしいキャラクターなわけです。漫画のキャラの人格であれば一貫性のある方が愛されるでしょう。でも、漫画と違って現実で起きることはランダム。山あり谷あり。人生万事塞翁が馬。不意に起きた問題に対して、人は変化していくから美しい。
 急になに怒ってるんだコイツは。遂に見えない敵と戦い始めたかって思っているでしょう。御名答。僕には幻聴で自分の声で自分の悪口が聴こえるんですよ。耳元で囁くんですよ。「お前は変わったな」って。自覚はあります。そりゃいっぱいインターネットで揉まれてきましたからね。良くも悪くも穏やかになったと思います。尖ったナイフの先もいつかは削れて丸くなる。幻聴はそれが面白くないのですね。切れ味こそがすべてだと思っているから。
 ファンがね、ファンができたんですよ。こんな僕にも。僕が書く文章を好きでいてくれて、時に読者として感想を送り、時に保護者のように生活を支え、需要と供給のウィンウィンな関係ができあがったのです。曲がりなりにも、たとえそれがどんな駄文で周囲に笑われたとしても、書き続けた結果がやってきた。嬉しいね。
 そうなったら僕というお調子者はすぐに真面目ぶっちゃって、ちょっと大人なポジションを取り始めた。若者に優しくなっちゃった。求められている立ち位置をこなそうと活動しだした。あれだけ大好きだった睡眠薬でラリっちゃうのすら止めて、堅実な人生を謳歌する気でいやがるのだ。
 幻聴はそんな甘ったるい日々がイヤでイヤで仕方ないのだな。彼は彼で子供でいたいだけなんだ。そりゃそうでしょう、大人は怒られるんです。色んな人から。もう言い逃れは許されない。若者時代にさんざん大人をバカにしてきた分、今度は僕が指を刺されていく番だ。
 今ある鎖を全て食いちぎって、今いちど自由を手にするべきだと、幻聴が、子供の僕が耳元で唱え続けるんですね。また目の前に睡眠薬とアルコールを用意して、一気にぐいっとやっちゃえば良いんです。医者がくれなくても輸入だってできる。気持ちよくなるルートは無限にある。遊ぼうよ、楽しいよって、囁くのです。
 ごめんね。僕はもう少しやれることやってみるから、どうせいずれはどこかで挫けるから。その時にまたアルコールで薬を飲み込むときがくるかもしれません。それまで待ってね。と、ノイズキャンセリングイヤホンで耳を塞いで脳内で反論するんです。
 いつかは幻聴でなく、本物の罵詈雑言が僕を襲う日がくる可能性だってあるでしょう。社会の荒波に飲まれて溺れることもあるかもしれない。逆に、ものすごい幸運を拾ってしまう希望も手にしている。その度、僕はまた変わっていくんでしょうね。
 しかし、これだけは絶対に変わらないと約束できることがある。ここまで一貫してきたのですから、そこだけは絶対にブレない。僕はインターネット抜きには生きられないから、一生インターネットをやり続けるでしょう。無論、死ぬまで。
 

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