妹との平凡な日常 1月26日
「にゃるらお兄ちゃん、起きて! 今日は、リハビリで一緒に公園散歩する約束でしょう!」
僕の膝の上で、短いツインテールをぴょこぴょこさせた妹が揺れる。今は何時だ……とスマホを開くと16時。なんだまだ16時か。なら、もっと眠っても……。
「起きろ〜〜〜!!!」
トマトみたいに顔を真っ赤にして、縮こまった僕を布団から引き剥がす。やれやれ。我が妹ながら、なんと騒がしい子なんだろう。騒がしいのは好きじゃない……だから、部屋に籠るんだ。世界と接続されて、頭がうるさくならないように。
「もう16時だよ!いっしょに散歩しないと、このままだとお兄ちゃん一生引きこもりじゃん!そんなのわたしイヤだ……」
こっそり開いた瞳で、ちらっと様子を伺うと、我が妹の瞳は水分でうるうる。つまり、悲しくて涙を溢す寸前だ。そんなに僕の自立を望んでいるのか。やれやれ……外は騒がしくて最悪だが、妹の涙はもっと最悪だ。ここは起きるしかない。
「しょうがないなぁ……ほら、公園行くぞ」
俯いた彼女の頭を撫でる。頭を上げた彼女は、ぱあっと笑顔を広げて、嬉しそうに玄関に向かって飛び跳ねた。かわいい。妹が居なければ、こんな小煩い世界、さっさとおさらばしていた。
「いこ、お兄ちゃんっ」
今年一番の寒波だそうだが、繋いだ手の温もりは、暖かい。
「だんだん外に出れる時間も増えてきたね」
「まぁ、2人でなら30分くらいは平気かな」
「これなら今度はお買い物もいけるよ!」
「お店はダメだ。人がいっぱい居て怖い……」
妹の手料理を食べながら、テレビでくだらない動画を流す夜。僕にとってはごくごく日常的な光景だが、この状況を見て血の涙になるくらい悔しがるオタクもいるかもしれない。モニター向かって笑う彼女は誰よりかわいい。僕は幸せ者だ。
「お兄ちゃんの引きこもりは、わたしが必ず治すから心配しないでね」
「僕のことより学校生活に専念しろよ。お前は僕と違って頭がいいし、未来があるんだ」
「ちゃんと学校のことはやってるもん! お兄ちゃんこそ、引きこもったまま将来はどうするのさ!パソコンと結婚するの!?」
「う、うるさい!」
やれやれ。妹は、すぐ感情的になる。せっかく美人で聡明なんだから、卒業までにこの癖は改善しないとな。僕と違って、未来があるんだから。
「いま、わたしのこと考えてたでしょ」
「なんでわかった?」
「そんなに見つめられたら猿だってわかるよ」
テレビの音量を下げながら、「言っとくけど、お兄ちゃんだって未来があるんだから、今からいっしょにしっかりするんだよ?わたしだけ良ければいい訳ないからね」と続ける。僕の考えてるいことが手に取るようにわかるらしい。
引きこもりでも入りなさい! と、また顔をトマトにして怒鳴られたのでお風呂に入り、ボサボサに伸びた髪を乾かして、真っ暗な部屋で青白いモニターと向かい合う。インターネットには、多種多様な人物がいる。こいつら全員に各々の生活があると想像するとぞっとする。こんなにたくさんの人が生きているのか……。そして、その中でも僕は底辺なのだ。でも、悲観することはない。僕には、妹がいる。全くもってダメ兄貴にはすぎた妹だ。でも、かけがえのない実妹。彼女のためならなんだってできる。
「お兄ちゃん?」
襖を開けて風呂上がりの妹が入ってくる。隣に座って本を読む彼女。今日はカフカの『変身』だ。こんな暗いところで読書すると目が悪くならないか心配。しかし、彼女は昔からこの場所が好きだった。パソコンを眺めている、僕の隣りが。
「お前は本当に本が好きだなぁ」
「お兄ちゃんのパソコン程じゃないよ。そんなに好きならパソコンの仕事したらいいのに」
「簡単に言ってくれるなぁ。パソコンの仕事はめちゃくちゃ勉強する必要があるんだぞ」
「じゃあ、なんの仕事ならできる?」
「うーん、勉強は絶対したくないから、ゲーム製作かな。かわいい女の子の恋人になるゲームとか作りたい! めっちゃ顔が良い女の子!」
「そんなありきたりなゲーム売れるかなぁ……それに、何年も製作できる根性ないでしょ」
たしかに。図星すぎて思わず黙る。
「わたし、お兄ちゃんのそばに居ない方がいいかな。世話役がいるからダメになるんじゃ……」
「そんなことはない!お前がいるから幸せなんだよ。例え、お前が居ない平行世界で孤独な僕が理想のゲームを製作できたとしよう。でも、そんなの全く羨ましくない。なぜなら、その世界の僕にはお前が、妹がいない。それは不幸だよ」
「お兄ちゃん……」
華奢な身体を抱きしめる。永遠にこうしていよう。静かな静かな自室で、ずっと2人抱き合っていよう。たとえ僕が醜い虫に変身したって彼女を全力で護るし、たとえ僕が醜い虫に変身したって彼女は助けてくれるだろう。
その日、僕は夢を見た。夢の中の僕は一人暮らしで、ゲームを製作したおかげで世界中にファンも増えて、立場上は僕とは天と地の差。でも、部屋にずっと独りだ。増えたファンの期待に応えるため、日々打ち合わせや企画で駆け回り、脳内がとても騒がしい。こんなこと耐えきれない。この僕は何を楽しみに生きているのだろう。
「お兄ちゃん、起きて!散歩の時間!!!」
天から妹の声が響く。やれやれ。もう行かなきゃ。フォロワーはたくさん居ても、大事な家族一人に敵わない。両目を開いて、膝の上で飛び跳ねる妹を見に行こう。
──お兄ちゃん、やっと起きた!!
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