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一口エッセイ:自室という精神世界

 さいきん自分の生き甲斐について考えてみたところ、とにかく「自室に好きな本・フィギュア・家具を揃え、思い描く理想の空間へどれだけ近づけるか」ではないかと悟った。

 昔から自室はつねに綺麗だった。子供の頃は母親とアパートの一室で二人暮らしをしていて、お互い自室がないのでリビングだけという状態でしたが、必ず僕がテキパキ整理整頓と掃除をしていたので貧乏なりにも部屋は清潔であったと思う。途中、小学生の僕がガンプラ作りにハマってしまったため、いかにサザビーやウィングガンダムゼロカスタムなどのメカメカしいMSと母親の私物(化粧品入れなど)を違和感なく配置できるかに精を出していました。
 僕は掃除がまったく苦ではない。むしろ部屋が乱雑だとイライラするので掃除させてもらえる方が精神的に楽なのだ。なので、自室の片付けは小学生時代から自主的に行っていた。上京してからも、ルームシェアやシェアハウスのどうしようもない共用部はともかく、自分の部屋だけはつねに最善の形で本やフィギュアを飾れるよう命を懸けていた。


 僕は部屋自体を自分の精神世界そのものと捉えらえていて、というかもはや自分の肉体よりも部屋の方が本体とすら錯覚することもあり、部屋に好きなものがカッコいい位置に置いてあってふと目に入ることが何より心が落ち着く。今の部屋も特殊な構造すぎて数年借り手がいなかった一室を、壁などを棚に改造していいという条件で借りています。上手く空間を利用できたらかっこいいだろうけれど、みんなそれを諦めて誰も借りなかったため安めで放置されたピーキーな物件、目にした瞬間、この場所を使いこなしたら自分の魂はさらに磨かれると直感したのですね。


 今も、こうして少しずつ家具やフィギュア、本の配置を組み替えたりで試行錯誤を繰り返している時が楽しい。時には引き算も必要で、見栄えのバランスの問題から泣く泣くフィギュアやソフビを物置にしまう瞬間も、それはそれで楽しい。自閉した世界を好きに組み替えて一人恍惚とする。自閉症の僕にとって理想の行為なのでしょう。最近は「色」まで気にする段階に入ったので、視界の色味を各アイテムで調整することに精を出しております。ようやく僕にも色気がでたのだね。
 自分の精神世界である自室が綺麗になるのだから、掃除機をかけたり床を拭いたりすることイコール魂を磨いているわけで、心の汚れもともに落ちていく感覚。ここまで自室にこだわる理由は恐らく3点。単純なコレクター気質の自閉症、嗅覚がないためつねに清潔でないと異臭が発生しているのではないかという強迫観念、あとは幼少期に遊戯王でシャーディーが心の中の部屋へ入り込む描写を読んだから……でしょうか。闇遊戯の精神世界が迷宮になっている演出はハッタリが効いていてクールだし、自己表現としても分かりやすい。これらが複雑に絡み合って、いつの間にか人生の目的が、フィギュア・本・家具を収集し、飾ることになってしまっていた。


 もし、僕が部屋への拘りが消えたら、または他者の介入を許すようになったら、その時は「にゃるら」という人格が良くも悪くも書き変わったという証左に他ならない。現在は自室で座っているだけで居心地がいいが、だからこそずっと卵の殻の中にいるような不安も同時にある。いつか破らねばならない時が来るかもしれないし、来なかったからこそ不幸だと気づくのかもしれない。



 

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