見出し画像

クラフトワークがやってくる

 クラフトワークがフジロックにやってくる。
 もちろん、その場その場でいろんな曲を聴くわけだけれど、ここ数年で本質的に何を聴いてきたと問われるとクラフトワークとYMOでしょう。その他のテクノを、この2つの派生から追って辿っている。その先にゲーム音楽や東方があったりする。
 いずれライブに行ってみたいと思いつつ、僕が上京して以降YMOの3人は揃うことなく高橋幸宏、坂本龍一は亡くなった。現世は天国より野蛮だから仕方ないね。そのため、自分が真に興味あるアーティストはクラフトワークのみとなる。そんな感じなので、僕は今までまともにライブを観たことが一度もない。人付き合いでちょっと覗いたりとかはあるけれど。
 もう二度と来日しない可能性もあるのだから、なおさら初のライブ体験としてフジロックへクラフトワークの勇姿を見に行くべきな気もするが、やっぱり怖い。ライブの楽しみ方がまったくわからないし、大勢で音楽を聴くことの理由がピンとこない。家で一人で聴いた方がよくない? と未だに感じてしまう。とはいえ、ライブでしか得られない体験や興奮は確実にあるのだろう。それを知る最後の機会の可能性も高い。
 意味としては理解をしている。人は同調行動、一体感による感動を味わうことができる。音楽に合わせて大勢で身体を揺らし、声を上げる行為は爽快感があることなのでしょう。しかし、恐らく僕はそれが意味でなく体感では理解ができない。アーティスト以外の人たちは静かな方がよくないかと思ってしまう。クラフトワークの曲に合わせて観客がペンライト振って応援していたら、それはもう狂気の光景なのでアリかもしれないが……。
 フジロックってところがまた、ね。難易度が高く感じてしまう。人がたくさんいる上に野外で、クラフトワーク以外のアーティストも多数登場する。クラフトワークのみで屋内なら覚悟を決めたかもしれないが、クラフトワーク以外の人たちが演奏している時に人波で揉みくちゃにされているのはつらい。電気グルーヴが製作した『バイトヘル2000』でフジロックを模した会場の警備員を行うミニゲームを遊んだせいで、客の熱気についていけなさそうなイメージもある。
 テクノは特にライブでのアレンジが肝で、そこでの驚きは凄まじいのでしょう。「クラフトワークを静かに涼しく楽しむ人用の席」とかあれば最も良い体験になるのですが……。そんな我儘通るはずもなく。そもそも通常のチケットが取れるかもわからないし、作法とか色々わからないままぽつんと独りで微妙な思いをして帰るのが怖くてどうせ行かない。
 このまま死ぬまでライブの楽しみを知らないのか……と思うと、ライブハウス好きな方々からは信じられないかもしれません。そもそも僕はそれなりに作詞もやってきているのに。でも、まあそれこそ詞を楽しむなら部屋で一人静かな時間に限るし……。別に大勢で聴く必要はない。音量もそれなりでいい。
 うーん、とはいえクラフトワーク。100%行かないけれども、いざフジロックが過ぎたら後悔はすること間違いなし。かと言って人が大勢居る時点で確実に性格上不快になるのでダメだ。好きなアーティストの想い出に少しでも泥をぬりたくない。
 でも生でDentaku聴いてみたいなあ。まあ出演時間的に好きな曲が選曲されないこともあるので、そこは期待すると悲しくなるか。よくよく考えると爆音でコンピューターのピコピコ音が鳴り響くこと自体滅多にないのだから、やっぱりそれが音楽として最上だとテクノに植え付けられた人からすれば至高の体験なのでしょう。
 逆に、みんなはどこでライブの恐怖を払拭できたのか、一体感への興奮を受け入れられたのか、むしろそっちの方が疑問です。わからない。いざいけばすべてを実感して自然と身体が動くのだろうか。どちらにせよクラフトワークの曲じゃ踊りはしないだろう。
 この前『ダーウィンが来た!』にて、ダンスで求愛する鳥を特集していた。踊ることでカッコ良さと愛情を示し、相手が同調すると一体感を得てつがいになる。わかりやすい。
 その後、夫婦になってからも一緒に踊り続ける鳥が登場。なぜ求愛が済んでも二羽は踊っているのか? それは「夫婦だから」だ。愛を確かめあったからこそ、次は同じ動きを楽しみ一体化することで生物としての本能を満たしている。ライブもこの延長線なんだなーとうっすら感じた。信頼できる人と一体化すると脳内麻薬がすごい。原初の行動原理である……ような、そんな話じゃないような。何もわからなくなってしまった。
 謎だ。このまま謎のままにしよう。もしかしたら、いつか何かのタイミングで最高の条件が揃ったライブが行われるかもしれない。やっぱり僕にはまだ早いのだ。現世は天国より野蛮だし。

サポートされるとうれしい。