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「AIR1話の冒頭10分」がどれだけ好きで完成されているかの話をする

 僕はアニメのなんでもない日常シーンで突然感極まって泣くことがあります。日常が「泣き」に接続する条件は複雑で、自分でも理解しきれていないのですが、背景・言動・仕草の総合点が基準値を越え、登場キャラに実在性が見えた瞬間な気がします。

 要領を得ない説明をしても仕方がないので、さっさと具体例を出しましょう。自分がこの特性に気づいたのは「AIR」1話です。しかも、そこの冒頭10分。

 AIRといえば、御存知の通り夏を舞台にしたkey作品。「感動」のギミックがこれでもかと詰め込まれた説明不要の名作ですが、今回の話では終盤の展開は全て関係なく、ただただAIRの冒頭10分の話だけをしていきます。


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 物語は、主人公・往人が海辺の田舎町へやってくることから始まります。
 貧乏一人旅を満喫中の往人は、空腹により海辺沿いで倒れてしまう。

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 鳥の声に起こされた往人が見たのは、隣に立つ少女・観鈴。アバンとOPを除けばわずか30秒で出会うこととなり、AIRという物語がどれだけ二人の関係に重点を置いた作品かがわかる。

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 観鈴の初セリフは、お馴染みの口癖「にはは……」。長い髪を靡かせ、こちらに向かって力なく微笑みかける少女。この「にはは……」が泣きゲーとして完璧で、ここまでシンプルかつ効果的に、可愛さと儚さを同居させた笑い方は百点満点の解答に思えます。
 僕も辛いことがあると常に「にはは……」って笑いますからね。

 どこか無理して笑っている雰囲気が、音でも字面でも伝わってくる。ONE PIECE並に笑い方でキャラ付けされていますね。

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 「にはは……」の後は、「こんにちは」と深くお辞儀が。意味深な登場後に、場面にそぐわぬ礼儀正しさ。たった二言で、観鈴がどこかズレたおかしい子であるのが視聴者にも理解できる。

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 スカートを抑えてしゃがみ込む観鈴。僕くらいになると、もうこの仕草だけで泣く。なぜ泣くかは全く説明つかない。まだ二言しか喋っていない少女がしゃがみ込むだけで涙が流れてしまう。決してAIRの終盤の展開から逆算して泣いているのではなく、初見時から泣いてました。
 AIRに限らず、なんなら日常アニメの冒頭とかでも全然泣く。ちなみに現実で自分に起こったことに対して感動や悲しみで泣いたこと全く無いです。俺は涙を流さない……オタクだから、現実で特にイベントないから。

 「お一人ですか?」「暑いですね」と世間話を展開しながら近づき、挙句の果てには勝手に「喉乾いてますよね」と決めつけジュースを買いに行く。彼女の不器用さや、懸命さ、そしてとにかく誰かと会話がしたい思いが垣間見えてくる。目的はわからないが悪い子じゃない。

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 観鈴の奇妙な行動は続き、歩き出した往人にひたすらくっついて話しかける。「浜辺いきませんか?」「なんで……」「遊びたいから」のやり取りで不信感が募った往人はついに「ハァ?」と高圧的に返事してしまうも……

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 観鈴は往人がこちらを向いてくれたことに対して無言で笑う。ただ、笑うだけ。

 「昨日、あの浜辺で遊んでたんですよ、子どもたちが。楽しそうだなぁ、わたしも遊びたいなってずっと思ってたんです。あなたが寝てる隣で」

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 ひたすらついていく観鈴。遠景のカットが多用され、町の空気感がわかる。まだ互いの名前も知らない二人が、晴天の下でただ田舎町を歩く。特に好きなシーンです。
 不思議な少女が隣りにいて、くだらない会話をして、ノスタルジーな町並みが続いて。これだけで充分。ここまでで出会って3分。この3分間にAIRという作品の、観鈴の魅力の全てが凝縮されて届けられる。
 カップラーメン待っている間に、空気感で勝手に泣き出すオタクの涙腺を何度も刺激するような映像を作ることができるんですね。

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「わたしたち、ともだち。にははっ。だから……遊びたいんだ」「まだ互いの名前も知らないんだぞ」「わたし神尾観鈴、あなたは?」「……国崎往人」

 このレイアウト大好き!!!!!!!!!!!

 程なくして他登場人物があらわれ、二人だけの世界観は10分で終わってしまいます。

 繰り返しになりますが、ストーリー性は全く介入しておらず、ただこの日常の美しさだけで泣いている。例のラストなんて一度見たきりで、冒頭10分のみを何百回と繰り返す。これ以降は全て野暮なんじゃないか? というくらい完成されていると感じる。
 この空気感と二人の距離感、世界観に浸れるように描き込まれた背景美術とレイアウト、幼児性と不器用さ、そして純粋さが伝わる観鈴の一挙一動への拘り……100点。

 にはは……。

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