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最近やっていることと考えていること(24年7月)

 仕事があるのは良いことであるものの、興味と好奇心を優先できないくらい多忙なら生きている意味がない。
 7月、ほとんど休みとよべる日がないままずっと動き続けている。ここまできたら7月中に大きなこと終わらせていく勢いでいこう。主に前半は超てんちゃん誕生日準備、以降は作詞やアニマ作業に追われ、こうして日記の投稿時間が昼過ぎなことが忙しさを物語っています。
 変な苦労としては、「カラオケに収録する際の『きゅびびびびずむ』の歌詞を提出してくれ」と突然仕事が差し込まれたことなどがある。きゅびびびびずむは、自分が詞を書いた『きゅびずむ』を音MAD的にぐちゃぐちゃにしたものなので、正しい歌詞と呼べるものがない。それでもカラオケで歌いたい数寄者も居ることでしょう。どうすれば人間でも歌えるか調整しながら、耳コピで歌詞を手打ちする。これが意外に時間がかかった。こういう急で地味な仕事は少なくありません。
 まあ、努力が早めに大勢の前へ披露される仕事であるのは幸運ですけど。7月中にいろいろやったAiobahnとの新曲は互いにだいぶ気に入っており、彼も珍しく曲の出来に惚れ惚れして自信を持っているツイートをしていた。僕もアレは凄いと思う。そういったご褒美もある。
 アニメの総監修・脚本はたいへんだ。自分が遅れたら全てが滞り、最悪放送が延期するプレッシャーがつねに視界を覆う。ゲーム製作時は二度延期し、その間は鬱々としていましたからね。何をしても、何を読んだり観たとしても、「いま自分のせいでゲームが延期しているんだよなあ……」と考えてしまう。あの苦しみは味わいたくないが、かと言ってスピードを優先したってダメだ。そういった恐怖もある。
 どんどんアニメも肉付けが始まっていき、裏でアニメーターやイラストレーターなどから話を聞きまくっている。あと音楽や劇伴についてもつねに考えながら。アニメ規模なら人は居れば居るほど助かる。「隙あらば何らかの形で協力してもらえないか」と他人との会話中つねに気を張っています。総力戦だ。
 そんな中でも超てんちゃん人気はまだまだうなぎのぼりで、嬉しいことに新たなファンも増えていくわけだから、リアイベやグッズにラジオ、その他を進行していく。「ここまで自由に動かせる作品で自分が何をしたいか」と「新たなファンと古参ファン(コアユーザー)が何を望んでいるか」の天秤を揺らし、折衷案を出す……雰囲気をだしつつ前者をゴリ押ししていく。気が乗らないこと絶対やりたくない。正しくは興味のないことをやっても満足いくものができないので、妙にファン層を意識しないといった塩梅か。特に英語圏の人たちは「作り手が楽しそうにしているか」を見ている。なんなら作り手側も込みでコンテンツと認識しており、要するに僕が楽しそうじゃない企画がニディガで出したとて乗ってこない。彼らは東方projectのことも大好きですが、ZUNさんが全く好きでないだろう東方の企画へのスルー率が眺めているとわかる。彼らは「インディー(同人文化)」を愛し、みんなで盛り上がることを命題とする。その一体感への渇望が……僕も大好きだ。なぜ自分の作品で自分たちが楽しくないことをしなければならないのか。僕もそう思うよ。インディーの皮を被った企業産ゲームがいまいち跳ねない根本の理由として、作り手の魂が隠されている、誰がコアの作品なのか不明瞭なことがあると考えています。他人事なのでどうでもいいけれど。
 最近はグッズ側がいつまでも超てんちゃんの新曲や動画にグッズへのURLを貼り付けたままなのが不快で仕方ない。一週間くらいならいいけれども。そういったお金の面が見え隠れすると作品が汚れるのだから、小銭を拾いたいにしても引き際があるだろう。
 次回の東西ポップストアに関して、超てんちゃんは「東京に等身大あめちゃん、大阪に等身大超てんちゃんを置く」といったものの、結局逆にした件は僕の判断によるもので、本当に申し訳ない!
 単純に描き下ろしイラストが大阪にあめちゃんなため、現場もそのように準備してしまうミスがちらちらあるし、せっかくならイラストに合わせて内装も東京は超てんちゃんへ、大阪はあめちゃんにした方が見栄えがいい。しかも客も現場も混乱しない。リアイベなので外から見た際の見栄えと分かりやすさは重要視したく、内装が超てんちゃんなのに等身大あめちゃんを置いた時のしっかりこなさを恐れた。
 どちらにせよ等身大は片方ずつ置かれる(スペース的に二体は無理)し、この方が良い展示になると確信あっての決定ですが、超てんちゃんが言ったことと変わっている違和感は僕の責任なので、それはごめんなさい! もっとリアイベや現場判断の理解度を上げるため反省します。
 といった仕事をしつつも、読みたい漫画、観たい映画、人から「話したい」と言われたらすぐに時間を空けている。冒頭に繋がるわけです。7月前半はさすがに詰まっていて色々断ったけれども、急な興味で「この本読みたい!」と新たなことを覚えない、不意に「お話したり遊んだりしよう」と誘いに乗じて未知の体験をしない人生の意味の無さに気づいた。あと周囲の一回り上の大人たちが「忙しい」しか言わずに仕事を回し、色々と半端に進める(若い人に放り投げる)みっともなさに嫌気も差した。仕事に追われて会話をしない、コミュニケーション不足で仕事が増える環境の無意味さが悲しい。
 結論として、どんなに忙しい忙しいと言いつつも、他人の話を聴いたり、本を読む時間は絶対に確保する(仕事を削ってでもそちらを優先しよう)と学んだ次第です。

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