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一口エッセイ:TikTokと超てんちゃん

 TikTokを開いてみたのです。
 新曲『INTERNET YAMERO』が流行していると噂でしたから。前作からたくさんの方に歌ったり踊ったりしてもらいましたが、今回はもっと急速に流行っているらしい。当事者であるものの対岸のことすぎて何も実感が湧かない。向こう岸にはたしかに文化があるのだから、それを知るためにはフィールドワークあるのみでしょう。
 というわけで早速インストールしてみました。
 いやビックリした。本当にデフォルトの状態で動画を何個か送ると、数個に一つはINTERNET YAMEROに関する動画が出てくる。すごい。もちろん最初からなんらかのバイアスがあったかもしれませんが、特に検索せずともホームに超てんちゃんがオススメされるのだ。おお。
 今回の曲から派生して、たくさんのうたってみた、踊ってみた、パロやオリジナルMVなどが投稿されており、画面をスクロールするとどんどん二次創作が現れる。まるでニコニコ動画だ。一つのネタ元が流行ると、瞬く間に派生動画が氾濫して一気に盛り上がる。その勢いにファンもアンチも加速して互いにあーだこーだ言いつつ、その混沌の中で何かを見つけて成長と理解をする。もうニコニコのカオス感って失われたものとばかり思っていましたが、TikTokにあったんだ。良いことじゃん。この乱れたインターネットから何かが生まれているんだ。綺麗すぎても汚すぎてもダメ。若さというピュアが必要で、ここにはそれがある。良いことだ、安心した。僕らおっさんにはついていけないけれども、ここで発展する独自の文化は確実にあり、それが次の時代を作るのでしょう。
 コメント欄は原作ゲームを再現している外国人のファンが多く、超てんちゃんの挨拶「†BLESS†(昇天)」で埋まっています。ニディガを通して中国人や韓国人が日本と交流している。彼ら彼女らも国の違いなんて気にしていないでしょう。同じTikTokでおふざけして盛り上がっている仲なのだから。もちろん喧嘩もある。ダンスに気合いが入ってないと、「顔を見せたいだけか?」と叩かれるし、やたら高そうなバッグなどが映ると「どうやって手に入れた?」とあらぬ疑いをかけられる。パロの方向性によっての論争もあるし、そもそも超てんちゃんに対して「こいつ見るの飽きた」と叩く人もいる。全てが良いことだ。この人たちはもう、僕やAiobahnのことなんか知らなくたって全然いい。こんな場所、大人が触ってはいけない。ボーカルのKOTOKOさんの歌唱力は覚えていって欲しいが……。ここへ一回り上のおっさんが乱入して何を言おうと野暮でしかない。そんな不粋なことはしたくない。数年後、ふと今回の曲を思い出して「あんなのもあったよね」と一瞬でも懐かしんでくれたらそれで良い。それが最も嬉しい。
 良かった。僕を含むおっさんやおばさんは新しい文化が理解できない。理解できないものは怖いし、怖いものは攻撃してしまう。醜いものだ。だからTikTok文化への叩きもどんどん増していくはずだ。しかし、それがいいんだ。怯える大人がわけもわからず新天地を叩くたび、渦中の若者たちの結束は深まる。むしろこういうのは大人に理解されるべきではない。INTERNET YAMEROの歌詞にも入れたんだ「大人のみんなにはナイショだぞ」って。だから気にする必要はない。どんどん古臭い価値観のままでいるSNSや匿名掲示板の泥舟に乗ったオタクを置いていってくれ。僕らはそのまま沈んでいくだろう。どうせ沈んだ先の水底で互いを慰め合うのだから何も問題ない。
 そもそもニコニコ動画自体も、当時は2ちゃんねるの大人たちからは総叩きにあっていたものですから、次はニコニコ動画の世代がTikTokを叩いているだけ。なんだ、時代は正しく循環しているんだ。
 そういうことか。自分の中で腑に落ちた。良かった。ゲームや楽曲を通して、自分が次の文化への種を僅かでも撒けたのだから生きた価値があった。心が救われました。ありがとう。僕も向こう岸からまた大人の日々に戻ります。一瞬だけでも青春時代の空気に浸れただけで満足ですよ。夢はいつか醒めなければいけないから。 †昇天†



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