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エッセイ:私がオタクでない何かになっても

 森高千里さんの「私がオバさんになっても」が大好きです。当時のライブのかわいさはもちろん、実際にオバさんと呼ばれるような年齢になった際に歌った映像でも、若い子に負けないほど綺麗なままというオチがついているのも素晴らしい。

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 例によって、自分がこの曲を知ったのは「歌う♪ラブプラス」なるカバーアルバムで寧々さんが歌っていたからで、皆口裕子さんにこの曲を歌わせようと考えた企画者のセンスに脱帽です。「悪女」を小木曽雪菜にカバーさせた人くらい天才。
 同アルバムの「淋しい熱帯魚」や「デリケートに好きして」も大好き。

そんな話は良いとして、「私がオバさんになっても」は、歳を重ねるうちに彼氏が若い女の方に走るんじゃないかと拗ねているような歌詞で、その健気さ自体が若々しくてかわいいといった曲。

 以前、こういった記事を書きました。自分も20代後半に入り、周りのオタクたちもコンテンツを追っていくのを諦めて、オタクでもない何かになっていくという話。そこに一味足して、キモオタがオタクをやめて「キモ」になるならまでしも、そのキモ部分も社会で漂白されてキモさも残らないよねとも書きました。オタクらしい「キモさ」って若さと情熱ですから。みんなまともになっていく。

 僕は、ずっとインターネットやアニメと漫画のみで生きてきた結果、20代前半の頃から、それに関連した文章書くお仕事をもらったり、流行やオタクコンテンツの鉄板を解説のため企画立ち上げ会議などにアドバイザーとして参加してきました。そういう意味では、実は一般の人生より早く社会にでていたのかも知れません。

 例えば、ある企画でキャラクターデザインに入った際は、偉い人が「このキャラにリボンを着けたい」と話すと、「今のトレンドだとかぐや様や五等分の花嫁では、こういった大きなリボンでキャラ付けされて~」と説明し、向こうが「リボンって涼宮ハルヒみたいな?」と返してくるのに、やれやれ……ってやる役です。文字にすると最悪のやり取りですね。
 後はSNS戦略とか。これはとにかくインターネットを見続ければいいので、思ったことや好きなアカウントをそのまま出力するだけで、ほとんど解決するので楽です。

 このポジションってインプット量とセンスに依存しきっており、その両方とも加齢で消耗していく。二十代前半の頃は、15~20歳の世代の好みや流行も自分の感性で答えきれたのですが、先月から二十代後半になった今では、ある程度のデータ収集が必要になりました。
 最近は、小中学生がYoutubeで何を観ているかずっと観察しています。小中学生はTwitterに殆どいない・アカウント作成できないので、彼らの現状ってYoutubeのコメント欄やコミュニティを覗く必要があるのです。「どのキャラが一番かわいい・カッコいいか」「この描写は性的すぎないか」で毎日真剣に口論しており、見ていて飽きません。

 若さに加えていっぱいアニメや漫画を消費する時間があるからできることなので、当然週5で働けとか深夜アニメを観ずに朝起きて出勤しろと言われると、その時点でコンテンツを追えずに時が止まる訳です。
 もちろん両立できている方も居ますけど。僕は絶対に無理。そもそも決まった時間に起きて外に出るなんて一日でもできない。
 働いてなくてもいずれ衰えていくものですから、それも怖い。いつまでもインターネットで難しいこと考えずに若者として遊んでいたい。

 なので、打ち合わせが終わった後に「ここでずっと一緒に働いてみたりしないか」と訊かれる度に、メンヘラ女性の試し行動のような質問を投げるしかないんです。「僕がオタクじゃない何かになっても?」って。 

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