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一口エッセイ:菜食主義のおばあちゃんと公園の子供

 日課の中野ブロードウェイ散歩中、以前にちょっとだけ書いた菜食のお店へ行きました。台湾から来たおばあちゃんが経営している「台湾素食」ですね。恐らくは台湾仏教が関係しており、店内もそのような飾りが成されている。良いお店。

 このお店は、なんと50年前から存在する。50年! なんと気が遠くなる年月だろう。店主のおばあちゃんは70を越えており、「あなたが生まれる前からお店やってるんだよ」と悪戯に笑う。僕はこのお店の在り方が大好きだ。
 おばあちゃんはお話好きで、いろんな話を聞かせてくれます。まず、お店の誕生エピソードが面白い。台湾から日本へきた店主は、菜食のみの飲食店が日本に存在しないことに困った。店舗はたくさんあるのに、自分が口に入れられるものが無いわけだ。台湾には素食のお店が少なくない。が、日本には無い。このままだと店主は食事ができないので、自分で菜食オンリーの店を開くことにした。後に「サブカルの聖地」とも呼ばれる異様な商業ビル、中野ブロードウェイの一角に。
 店主は、日本の飲食店で食事することは決してない。自らが創った自らのための料理を食べ続ける。味の薄い素食は、そのぶん健康に良い。彼女は70を越えるのに肌が若々しく、なにより今だなおこの土地で店を切り盛りし続ける体力がある。間違いなく、これは信仰心が生んだ賜物に他ならない。店主は語る。「野菜にも陰陽がある、野菜でも陰の野菜は食べない」。僕にはまだその違いは分からないが、この食への拘りが50年以上、このお店と店主を支えてきた。なんと素晴らしいことだろうか。
 店主は酒も嫌う。肉というより、身体に溜まる穢れ全てを避けているので、当然アルコールなんてもっての外。「酒を飲むから人はおかしくなる」と話し、「わたしは70年間一滴も酒を飲んだことがない」と自慢げに胸を張る。立派だ。立派すぎる。あまりに眩しくて、おばあちゃんが存在するだけで僕が救われてしまう。人は信仰心によって70年間、清らかにいられる。この事実が美しい。
 今日も、定食代の1000円ちょっとを支払い、「またきます!」と告げて退店する。長生きしてほしい。そして、僕のような俗な若者にたくさんのことを教えてほしい。そのためにも、僕はできるかぎり散歩の途中で素食へと足を運ぶのだ。
 帰りは公園へ寄る。
 サブカルのメッカ、混沌の象徴がすぐそばにあるのに、3分歩くと雄大な自然広がる大きな公園が見える。このギャップも中野の魅力。原っぱにある大きな樹の一つへもたれ掛かり、読書を嗜む。締め切りはたくさんあるけれど、まずは本を読む。どんなに忙しくとも、読みたいときに本を読む。それこそが自由で幸福な生活だから。

 しばらくすると、子供たちが話しかけてきた。「なにしてるの?」「本を読んでいるよ」「一人で? なんで?」。たしかになんでだろう。読書するなら家だっていいのに。彼の疑問はもっともだ。ちょっと会話を交わすと、すぐに飽きて走り回っていく。そしてまた僕の元へ来ると、「一緒に遊ぶ?」と話しかける流れを繰り返す。
 僕が寂しく見えているのか。彼らはこんなに楽しく自由に走り回っているのに、樹の根っこに腰掛けてじっと静かにしている僕が窮屈に思えたのかもしれない。どうだろう。僕は世の人間に比べてだいぶ自由にやらせてもらっている気はするが、子供から見たらまだまだ常識に囚われているのでしょうね。
 サブカルのメッカを回り、素食をご馳走になって仏教を感じ、静かに公園の樹の下で本の世界に浸る。こんなルーティンが許されている時点で僕は幸せなんじゃないかと思うが、返事を待たずにまたすぐさま全力ダッシュを競い合う彼らに比べたら、退屈な大人のひとりでしかない。


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