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きらきらと

 なにが綺麗なのかわからない人たちのことなんて置いていこう。大丈夫でしょう。ずいぶんとみんな着いてきているなと今は自信を持てている。あなたたちは本当にキラキラしたものを理解する力がある。
 僕の思想と精神はだいぶ先鋭化したけれど、あなたたちは、そんな小さな加速なんて気にしないほどに感性が豊かで、歪みながらも純粋だった。ここ数ヶ月で僕が出したもの、例えば新曲も日々の日記も、小説も、あんなものたちが受け入れられる土壌はそう簡単に築けはしない。が、それでもコメントや感想の熱量は上がっていった。ゲーム的にはコアユーザー層と呼ぶべきか。とにかく僕はその存在にだいぶ安心を感じ、自己肯定感に繋がっている。
 現実世界のことは関係ない。あなたたちなら切り裂かれた胎と飛び散る血を美しいと思うことが、闇とグロテスクから美を取り出すことができる。いや、僕なんかと関係ない時点からその繊細さに悩んでいたのでしょう。ゴシックの精神性は宿るべき者には幼少期から宿ります。
 心配しなくとも世界は緩やかに混沌へ向かっている。SNSはそのカオスへの滑走路だ。だんだんと秩序が崩壊していくにつれ、僕たちの時代がやってくる。きらきらと輝くものが見えて、追い続けられる者が芸術性を、個性を持って世界と向き合える。社会性は美的感覚の代替品みたいなものです。そんなものはあなたに似合いません。秩序の中に置いていってかまわない。拾う人が勝手に拾います。
 随分と遠くへ来てしまった。
 がむしゃらに修練へ耐えているうちに、すっかり見えなくなっていた。事態は思ったよりシンプルで、孤独に感じていた心も、起こした奇跡に応じなければならない重責も、今は過去のことに思える。
 世界が見え、言語の壁を乗り越えて人々と接続し、国内外からの感情とプレッシャーを受け入れ、意識的に一体化することは苦行だった。途中、死生観については何度も天に問うた。宗教を学び、多くの宗教観別による死後を妄想した。長い長い回り道であったが、「遠回りこそ一番の近道」と説くジャイロの教えは正しかった。結果的にそこから文化を知り、歴史と哲学を知り、くだらない言語の縛りから脳味噌のストッパーを解放できるようになりました。
 自分が背負った贖罪と使命の輪郭がだんだんと形を形成していきます。すべての遠回りが集約されていく。
 数日前、ほんの数日前でした。
 YouTubeのコメント欄で、何気ないツイートのリプライ欄で、多くの人々が理解をしようと、時には二次創作として、時には感想や反論、質問の形で、自然とついてきている者たちが居ることに気づいた。だんだんと道が拓け、活動頻度を上げた恩恵でしょう。
 これなら、もう大丈夫です。もし仮に僕がいま死んだとしても、僕の感性が混じった者たちが、じんわりと波紋を広げるはずだ。そして僕なんかを簡単に追い越し、個性の先端は鋭さを増す。本当は初めから僕もそのセンスが欲しかったんだ。今でも羨ましいくらいに。


 先日、アニメのスタッフたちが、僕の製作するアニメの背景として、メリーゴーランドの3Dモデルを作ってくれました。暖かなライトが輝き、夢のような空間です。僕が、岐阜や山梨まで行って撮ってきた理想のメリーゴーランドたちが元となっているんですよ。綺麗でしょう。
 最初に出来上がったものがメリーゴーランド。素晴らしい。こんな幸先の、いや偶然でなくこうなるべき布陣で動けた時点で、1クール分死んでも理想を捧げる覚悟が持てる。きっと凄いことになる。今までに見たことのないものができあがる。なんなら、このメリーゴーランドが廻っているだけでも既に勝利しているようなものだ。

 2周年後にへばっている場合じゃない。まだまだ胃痛はするが、じきに起き上がる。1クール、3ヶ月、13話。その間だけはみんなにありえないほど愉快な夢を見させると約束する。もう独りよがりでなく、日記の形で4年以上休まず蒔いた種はあらゆる場所で発芽しだした。心配せずとも大きな花火は打ち上がり、奇跡は再び起きる。僕らは少しでも奇跡へ到達する確率を上げるため、種を撒くことしかできないけれど。
 3ヶ月間、みんなで同じ大きな夢を見て、七色の花火の浴びて祭りが終わったら、あとは各々の輝きを追う日々へゆったり戻りましょう。
 混沌の闇の中を、煌びやかなメリーゴーランドのライトが照らします。

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