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一口エッセイ: 「こんなインターネット抜けだして、二人で海を見に行こうよ」

 「こんなインターネット抜けだして、二人で海を見に行こうよ」
 彼女がそう言って微笑みかけてきたので、迷わず学校と反対方向の電車に飛び乗った。このまま進めば、やがて広い海が見える。
 もう辟易していた。
 SNSで繰り広げられる答えのない議論のループ、激化する男女の争い、欺瞞と承認。人間が麦を作る知恵を持ったせいで文明に縛られ始めたように、スマホの普及によって現代人はネットの海に溺れさせられた。こんな混濁とした情報の海に流されるくらいなら、本物の海が見たい。
 駅を降りる。あいにくの曇り空。風が肌寒く、海は荒れ気味だった。彼女は少し俯いて、それでも砂浜の方へ歩き出す。スマートフォンを入れた鞄を置いたまま。
 僕は、インターネットに長く触れすぎた。脳味噌の中にすでに小さなネットのコミュニティが存在し、なにを認識しても、住民たちの賛否がノイズのように聴こえてくる。たとえば、今の状況であれば「学校をサボって海を見に行くシチュエーションに酔いすぎだろ」「女と一緒に遊べて良かったですね」「この海の画像をインスタにあげるつもりなんだろ?」のような。よくよく聴いてみると全部「否」だった。そんなものだろう。
 スマホをポケットの中につっこみ、彼女の隣を歩く。海風に髪とスカートが揺れて、まるでアニメのワンシーンのようだ。
 「男女で学校をサボるなんて、この国の教育は終わっているな」「今日の出来事もつまんねえ武勇伝として投稿するんだろ?」「女子とふたりで遊べるような男がアニメアイコンなのかよ」頭の中のノイズが煩い。
 そのまましばらく二人で歩いたけれど、どうしても話題が続かない。インターネットから逃れるためにここに来たのだから、流行のニュースなんて御法度だろう。有名人やYouTuberの話題もダメ。なにか気の利いたことでも言おうと思っても、どうしても全ての話題がインターネットに紐づいて連想されてしまう。次第に、僕らは長い沈黙に包まれた。
 「そっか、そうだよね」
 そんな自分の浅い心中を彼女は察したのであろう。曇り空を見た時よりも俯いて、僕のポケットの膨らみを指さす。
 「嘘つき」
 僕は、ここまできてもスマホを置いていくことができなかった。スマホを遠くに置いて歩く不安に抗えなかったし、あわよくば彼女と二人で海沿いの写真なんて撮りたいとも思っていた。
 依存だ。何度も繰り返される議論や争いを俯瞰するのも、嫉妬や私怨を文章に変換して吐き出すのも、上質なコンテンツに触れて何かを知ったつもりになるのも。それを目の前の彼女と歩くよりも魅力的に感じてしまっている。
 「さよなら」
 今日一番の悲しそうな顔をして、彼女は僕を見捨てていく。曇り空は小雨となって僕を濡らし、まず雨で壊れないようにスマホを庇った自分が惨めでならない。
 そのまま、一人で電車に乗って学校の方向へ向かう。べとべとに濡れた座席でスマートフォンを弄りながら。
 頭の中では、「どうせあんな女ビッチだよ」「同じ穴の狢だったくせにカッコつけやがって」「お前はこのまま今日みたいなしょうもない人生が続くよ」と、インターネットの声たちが反芻し続けている。きっと、死ぬまでこのノイズとの日々を送るのだろう。こんなインターネットから永久に抜け出せないまま。

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