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一口エッセイ:複数人でのトリップは「社交」になってしまう

 しばらく一人旅をしてみることにしました。善は急げ。ニチアサを観終わり即新幹線へ。単身で着替えや充電器、執筆用のiPadなどと少しの本をカバンに入れて名古屋へと向かいます。
 別に名古屋である理由はなく、とりあえず降りただけ。どちらかと言えば岐阜に行きたい。僕は、観光用の名所よりも、ゆったりとした街並みの日常を見たいから、普段であればほとんど行かない県を目指したかった。岐阜なんてこんな機会でもないと足を踏み入れないからね。直接新幹線が止まらないので、一旦名古屋を経由したわけです。
 が、ニチアサ後でめちゃくちゃ眠いので本日は名古屋で泊まることに。ホテルでちょっと寝て、Instagramのストーリーズに「名古屋の面白い場所教えてね」と書いたところ……



『キボンヌ』という名前の居酒屋があるとの情報を頂いたので、実際にその外観を見に行きました。もちろん中に入ることもなく、さっと見てスッと帰った。こういう観光ガイドには決して載らない地元らしいスポットを教えてもらえると嬉しいです。明日からは移動するので、岐阜のマイナーすぎる何かを知りたいぜ。こうして僕の誕生日はニチアサ観て『キボンヌ』の写真を撮っただけで終わった。とても充実した一日でしょう。なぜなら、人は突然『キボンヌ』を見るためだけに長距離移動をしないのだから。恐らく世界で僕だけが行った行為だ。
 さて、一人旅というのは、複数人での旅行とは趣がまったく違う。そして、僕は複数での旅行も良いとは思っているけれど、やはり一人で旅することが向いている。そもそも一人でないとこんな自由な移動はできないし。「その場の全員がそれなりに楽しめる」ことが前提条件であるのだから、僕の好みすぎる場所を回るわけには行かないし、僕は寂れた商店街やレトロな建物・階段を眺めたいので、その趣味に他人を巻き込まない。明日も、岐阜へあるゲームセンターのなんてことないメリーゴーランドを見るつもりでいる。どこにでもあるゲーセンの僅かな差異に興奮するから。これは一人だからこそ満たされる。
 ヤク中の知り合いが、「自分は他人と一緒にラリったりはしない。他人と一緒にトリップしたら、それは薬物体験よりも"社交"になってしまうから」と話していたことがあり、いまその気持ちにたいへん同意しています。旅行だって、複数で行くとそれは社交なのだ。トリップの意味は全然違うけれど、一人と複数で嗜み方が別のゲームになるのは同じ。社交は、たまーにでいいのだ。たまにで。
 ということで、のんびり名古屋周辺を歩いてみます。夜には原稿を書く。旅先のホテルで文章を打つ姿は作家っぽくてカッコいいでしょう。しかし、旅費を経費にするには、その旅での経験を作品に落とし込まねばならないらしい。突然、僕が名古屋や岐阜の裏路地などについて熱く語り始める作品を出し始めたら、「こいつ、経費のためにセコい真似してしやがって!」と批判しまくってください。

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