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神が仕組んだ収集家(コレクター)

 僕の武器は、目と知識だ。
 自身の美的感覚から、両の目で見たもののどこが優れた点であるかを、脳内に蓄積したデータベースを参照して絶対的な評価を持って喋る。僕が特殊な状況下で30年オタクとして生きて得た、収集家としての数少ない自信ある能力。
 最近、僕はこうなるように天に仕組まれたのではないかと妄想することがあります。思い返すと生まれた時に3つの環境が偶然揃いすぎている。いや、この3つには相関があるのだから実際は確率的にあり得るのだけれど。
 まず、沖縄のシングルマザーから貧困家庭で育つ。これはまだいい。別に同じ条件の同級生はごまんと居た。次。これは僕が最も特異な体質として、殆ど前例のない病気で生まれつき鼻が使えなかった。そのせいで運動が苦手かつ、嗅覚がないゆえの常識のズレと長期手術による休みがちな生活により学校に馴染めず不登校となった。
 オマケに神は僕に生まれつき言語性優位の自閉症まで与えた。おかげで一人でいる事が苦でなく、子供の頃からアニメや本を漁り続けてなお三十路となった今も一向に飽きることがない。そしてアニメや本、ゲームや映画を楽しむのに嗅覚は必要なく、沖縄人ゆえに母は適当で、僕が学校へ行かずテレビと本に夢中なことを一切注意しなかった。「貧困家庭から変なガキが生まれた」と書くとそれだけのことではあるが、たまに子供の頃から知識を溜め込むようにプログラミングされてるんじゃないかと錯覚することもある。
 学校に馴染めず、次第に家庭にも馴染めず上京し、誰も知り合いも居ないのだから自動的にネットで活動することで自己を確立するしかない。言語性有意の脳味噌に生まれた(この頃は診断前で感覚しかなかったが)のだから、自然とブログを書くことで他者から見てもらう。そもそも、僕は本やアニメ、美少女ゲームの知識と経験しかないのだから、それについて書くことは使命と思っていた。はてなブログの読者数がトップ100に入った頃には充分な知名度と実力が見えてきたので、インディーゲームを企画する。ゲームをリリースした後、さらに規模の大きなギャンブルでしか満足できないので、桁が一つ大きいアニメ製作に踏み切った。
 書き連ねると非常に分かりやすい。「沖縄の貧乏なバカガキで終わらねえ」という反骨精神で神に逆らって生きてきたつもりが、最初に与えられた身体と精神の障害の合わせ技が、導くように僕をオタク……偏屈なコレクター気質へ順当に育てた。
 僕の部屋がなぜつねに綺麗なのか。それは収集家として真摯だから以前に、嗅覚が無いから過剰清潔にしていないと何かが臭うのじゃないかと不安だからだ。知覚できない「臭い」という概念が怖くて、食事も最低限、服装に気をつけ始めてからはファッション方向へ興味が急速へ進んだ。この「臭い」への過敏さが、余計に本やフィギュアを整理整頓することへの自閉した快楽と直結している。悔しいくらいに、僕は本能に従って生きてきたこととなる。
 本能だから仕方がない。誰にだって個体差、向き不向きがある。僕の興味と生き方の選択肢は生まれた時点で狭く、気づくと社会と無関係な生活に固定されていた。僕はこうなるよう選択してきたのか、選ぶまでもなく因果律に流されるままだったのか、考える瞬間が増えた。
 最近の僕がなぜ妙に海外コンテンツへ興味を示し、また言語や文化の理解が進んできているか。これも本能が「もはや日本のコンテンツに限定しない方が自身の可能性が広がり生存力が高まる」と判断して命令しているのではないか。おそらく、以降の僕は海外から得た刺激を自身の創作へ活かしていくだろう。美的感覚は脳内データベースの中身と相対的に判断して出力した結果なのだから、そこへ世界の文化が加わるとより精度と自信を増す。心から気に入ったものは部屋に飾ろう。毎日綺麗に磨き、じっと眺めよう。僕はそのためなら何でもできる。


 僕の部屋は、起床時まずシド・ミードの描いたターンエーとターンXの複製原画が目に入る。僕は、この世界で最も美しい設定画は、このターンXの工学的な線にあると確信している。だから最初に目に映るものをこの2枚なのです。
 こうした「答え」は、神がそこへ辿り着くよう仕組んだものか、はたまた数寄者として人生を捧げた人間の業か。たしかめるすべは地獄で本人に尋ねるほかない。
 
 

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