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一口エッセイ:「俺がおかしくなったら殺してくれ!」は成立しない

 つい先日、久々に自分が声を張り上げてしまったことに驚き、その瞬間をずっと引きずっている。心に異常をきたしているのでどうにかしなければと悩んでいるものの、あれから特に対策もできないまま、というかむしろ状況は悪化しているのです。
 声を張り上げたと言いますのも、「あした友人と遊ぶ予定があるんです」と話した矢先に、大人から同日でのスケジュールの予定を詰め込まれそうになったので、思わず「遊びたいです!」と声を荒らげてしまった。といっても、そんな響くような大声でもなく、あくまで僕にしてはボリューム大きめくらいですが、脳味噌を介さず反射で「遊びたい!」と強く否定したことに驚き、すごく反省をしている。限界だったのでしょう。もう理屈や話し合いで解決できなかった。もしかしたら状況や予定を整理すれば両立できたものの、疲弊した自分が瞬間的に理性を否定して、ここで断るにははっきり言うしかないと全神経が勝手に動いたのだ。
 シロッコの言う「生の感情剥き出し」な、品性の欠けた猿の行動である。対話でなく感情を使って物事を解決しようとしたのだ。不快だから感情を露わにする。赤子と同じ。結局、本心が飛び出て場を乱したことを謝罪し、遊ぶ前に予定は入れられたのですが。こうなると感情的になった方が負けなので言うことを聞くしかない。
 いくらなんでも自分がそうなるとは思っていなかったので、あれから一週間くらいずっとずっと悩み続けているし、そのせいか不眠は悪化し、今週の予定は悲鳴をあげながら進めることとなった。自分では相当な異常が出ているんじゃないかと不安で溜まらないものの、これも社会から見たら「季節の変わり目」または「精神弱い奴がウジウジ構ってもらおうとしている」だけの一環に過ぎないのでしょうか?
 季節や健康での不調と認識されるのがイヤでジムに通ったというのに。ジム通いでつねに筋肉量が増える環境であれば、基本的に身体は健康なのだ。つまり、その状態での苦悩は己の内面の問題であり、健康面に依存しない。心身は連動するものの、「身」部分はまともなのだ。今は数値として確実に筋肉量が増しているのに悩んでいるので、いったん不健康がどうなんて話でまとめないでくれたらありがたい。
 が、やはり他者から見たら「季節の変わり目で弱っている」のみであろうか。満を持して声を張り上げてなお、社会ではよくある一瞬に過ぎず、柔な甘えん坊の我儘でしかない? どうせしばらくしたら僕の精神も元に戻りケロッと日常へ還るのだろうか。そうなのかもしれない。でも、今こうして胸が締め付けられて動悸がする不安は本物なのに。
 「俺がおかしくなったら殺してくれ」、は成立しない。なぜなら本当におかしくなってしまったら人は自身の狂気を認識しない。狂った相手に「約束通りおかしくなったから殺しにきた」と銃を向けたとする。が、相手は狂っているのだから「俺は正しい!今は冷静だ!約束と違う!」と怒る。「殺す」が現実的でないにしても、「客観的に狂っているから病院へ運びに来た」と言われて精神を病んだ人間が素直に承諾ものだろうか。様々な理由で自分で通院しなかったのだから、他者からのちょっとやそっとの説得では気持ちは変わらない。ましてや相手は発狂しているのだ。
 なので、「俺がおかしくなったら殺してくれ」は殆どの場合、反故になる。真におかしくなった時、誰も指摘してくれない。巻き込まれたくない。またはそれでも家族や親友が止めてくれたとて、おかしくなっているからそれすら「敵」に見えるんじゃないか。敵とは言わずとも従う気力すらなかったら。そういった状況も稀ではない。
 結局、「僕が本当におかしくなったら休ませてください」と現実的な落とし所を話したとて、誰もそれを実行しないでしょう。そもそも「休ませる側」が居たとして、その人間は僕のスケジュールを調整できるのだから、僕の働きに併せて損得が連動する立場だ。ならばできる限り「キミは壊れてないよ」と言い聞かせてギリギリまで使い捨てる方が効率的。今は敢えて露悪的に書いた。が、疲弊して弱り始めたら本気で全てをそのように疑っても不思議じゃない。僕だって先週まで自分が声を張り上げるなんて想像もしなかったのですから。
 なので、自己判断での僕は「異常」にあると今のうちに定義しておかねばならない。叫んだこと、不眠の悪化、自律神経の乱れによる急な発汗が合図にあたる。次の行動としては信頼できる人間と相談が順当なものの、あいにく僕は家族と無縁である。社会人からは「季節の変わり目に気をつけてね」扱いになることが目に見えている。どうにか自分で睡眠時間を増やし、現状を打破しなければ全てが敵になる。反射で嫌悪感を示した瞬間に兆候は見えていた。人間でなく動物として本能で拒否を示したのだ。
 関わる人間がここ1.2年で増えたので勘違いをしていた。誰かが不調や異常を指摘してくれるだろう、いざとなれば助けてくれるんじゃないかと。社会は決してそんな甘くない。こちらが疲れているなら相手も同等に疲弊している。互いに余裕がない状態で、互いの狂気を保障できない。自分がおかしい、自分「も」おかしいのだから何も言わない。そう結論が出ただけでも気楽になる。最終的にメンタル面は一人で解決する。究極的には死ぬまでそう。自身の芯にある苦悩に、寂寥感に、他者は介在しない。それが分かっただけでも成長で、また肩の荷が降りたような心地よさがありますね。

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