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一口エッセイ:ありえた自分のifとしての田舎の小さな幸せ

 数年前、当時シェアハウスしていた友達で和歌山へ行った際、山へ向かう途中のバス停でハンバーガー屋へ寄りました。昭和の香り漂うアメリカンな建物で、今日はそこへ行く夢を見た。最近一人旅でレトロなお店を回ったので、恐らくそこから連想したのでしょう

 ググってもどこかわからないくらいマイナーかつ記憶から薄れてきているのですが、沖縄のローカルなハンバーガー屋『Jef』が近いかな。こんな感じでピエロやサーカスモチーフのアイテムが店内を彩り、子供が喜ぶ内装でした。狙ったレトロオシャレでもないし、特殊なメニューもない。観光ガイドには決して紹介されない、地元民にとっては当たり前の景色。それが一番良いんだ。そこに一番行きたいけれど、それは土地に馴染みすぎて地元の人以外に辿り着けないのだ。
  
 沖縄での少年時代、「田舎は地元のイオンが一番のテーマパーク」なんてネットの揶揄そのものな生活で、小禄という地域の大きなジャスコへ行くのが母との唯一の遠出でした。それも歩いて数十分の話で、それ以上にお母さんと遠出したした記憶はまったくない。買い物帰りに寄った、小さなタコライス屋さんの雰囲気が好きだった。ただジャスコの隣にあるだけの、しばらくしたら閉店したなんでもないタコライス屋。親子での外出の象徴。ネットでも雑誌でも一切触れられない、だからこそ大人になったいまどんな高級レストランよりも行きたい、そんなお店です。
 話は戻り、和歌山のローカルハンバーガー屋で食事話していた時に、地元のヤンキーカップルと男側の母の3名が入ってきた。全員金髪だか茶髪だかで、店内でうるさいし、話の内容もタバコだギャンブルだと絵に描いたような不良。地元民だからか店員と仲が良い。彼らがめちゃくちゃ幸せそうで、自由で、眺めていてとても羨ましく、東京では味わえない地域との密着感は文化的な生活を感じさせる。
 思わず、自分のifに想いを馳せてしまいます。僕が沖縄から脱出せずに地元の女の子と結婚して、SNSにアカウントを作ることもなく、事務職でエクセル叩くか無理して車の整備工でもして、妻の尻に敷かれながらボロアパートで子供を養う。でも、休日には親子でジャスコへ赴き、近くにある小さな沖縄料理店で食事をする姿は、誰から見ても幸せそうなのだ。これは僕が親と決別しなかった、本来のルート。現に同級生たちはみんなそれになっている。
 和歌山で出会ったヤンキーたちなんて、ガラの悪そうなカップルのくせして、お母さんも連れてハンバーガー屋に来ている。こんなこと田舎以外であるか? 気の強そうなお母さんは彼氏側の息子をグチグチ叱り、彼氏は「うっせーなババア」と悪態つきつつ、その情けなさを彼女も揶揄って、3人で笑ってハンバーガーを食べる。これが幸福以外のなにと呼ぶのでしょう。
 きっと、このカップルは将来子供を作る。田舎の若い2人で金銭的余裕は少ないでしょうから、あまり真っ当な教育は受けないかもしれない。親と同じくグレた見た目になる可能性が大。ネット民からすれば「親としての責任や資格がどう〜」「環境による子供の幸せが〜」と言うはず。が、彼らはネットの反応なんてつゆ知らず、できちゃったから生むし、産んだからには育てる。お金はなくても自分の子供だから愛情は注ぐ。そして3人で、いやお婆ちゃんとなったお母さんと4人でまたあのハンバーガー屋へ足を運ぶ。店員さんと近況を語らいながら、迷惑にならない程度に店内ではしゃぐ。
 僕は、そんな光景を求めて一人旅をする。観光スポットは一つもないようなローカルな町を歩く。自分にあり得たかもしれない小さな幸せを持つ人々の営みを眺め、ネットと都内で汚れたからこそ手に入れた現在の幸せと比較する。向こうからすればこちらが羨ましいかもしれないし、僕からすれば向こうが羨ましい。このすれ違いこそ人間がそれぞれの人格を持って生きている何よりの証左に他ならない。



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