単純なものが流通する社会
昨日disney+で配信された、「HIDEO KOJIMA : CONNECTING WORLDS」を見ました。
その中で、カナダのアーティストであるグライムスさんが
「複雑な作品がヒットするとすごくうれしい。そういうとき人間への信頼が生まれる」
と語っていました。
僕も複雑なものが理解されている状態が理想だと思ってますし、その真逆の事態が起こると、もやっとした気持ちが生まれてきます。
今はXなどSNSのアルゴリズムの影響か、より単純で万人に理解されるものが流通しやすくなっています。
本来一緒に語られるべき、複雑な背景理解などを、必要以上に省いて単純化した上で。
多くの人は、自分の理解が及ぶ範囲でしか情報を認識できません。
認識できなければ共感も得られない。
共感が得られなければ拡散しない。
そもそも、ほとんどのことは複雑です。
おそらく単純なものはあまり存在しないです。算数のように、特定のルールを定めた上で語ったものであれば、単純に語れるかもしれませんが。
先日、以下のようなポストがバズっていました。
投稿者は、思考実験としてポストしていると思うので、それ自体は問題ないのですが、回答が極めて単純化したもので占められていることに驚きました。
そもそも人の性質はそんなに単純なものでもないですし、前提条件も語られているわけではない。自分の経験だと、この二項対立で考えなければならない局面はそんなに存在しない……というのが自分の回答でした。
それでも、こういう問いがバズっているのは、センセーショナルでわかりやすい二択形式で、単純な理解のまま語りやすい題材になっているからでしょうか。
また、「頭の良い人は物事を簡単に説明できる」と、よく語られます。これも必要以上に単純化されていて、一理"のみ"ある意見だなと思っています。
今の世の中が、単純に説明することに対してインセンティブが与えられすぎている結果なのかなと思います。
複雑なものが受け入れられる方向に、インセンティブが働くサービス設計はできないものか……とよく考えてしまいます。
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