同人誌の企画中止につきまして

私の同人誌企画およびそのアンケートにつきまして、ご批判を受け、同人誌企画は延期させていただきます。本企画のアンケートで傷つけてしまった方には、心よりお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。

ご批判とはこちらのブログのことです。


そもそも企画の意図につきまして

これは私の個人的な興味なのですが、私は受容史というものが、とても好きです。たとえば万葉集について平安時代の官僚が「読みづらくて難しい(意訳)」と書かれていたり、あるいは源氏物語を読んだ菅原孝標女が「こんな恋愛したい」と書き残していたり、そのように「どのように物語を受容したのか」という点について記録が残っていること自体に、とても惹かれるのです。おそらく物語そのものが残ることと同時に、その物語をどう読んでいたのか? という記録が残っていること自体に、胸がじんと熱くなるのです。

そういう意味で、たとえば最初は(ざっくりと)男性向けの漫画だったはずなのに、どんどん女性同士の間で同性恋愛の文脈を見出される様子がアーカイブされている、同人誌、というものにもなんだかじんとくるものを覚えています。それは受容史のアーカイブそのものだからです。二次創作は当時の受容であり、それがまた商業出版では「ない」場所で残っていることが、とても嬉しい。

そういう意味で、私は多様な受容のあり方が残っているほうが世界は豊かになる、と思っています(できることなら今のpixivやTwitterの二次創作も全てアーカイブしていたいくらいです。それは未来の人にとっては大切な受容史そのものだから。なかなか実現は難しいですが)。

新海誠監督の作品は、今後2010〜2020年代の日本のカルチャーを代表する作品という位置付けになる。だとすればおそらく未来の観客たちは、新海誠監督の作品を観て「これをリアルタイムに観られていた人は羨ましい」あるいは「これを当時の流行語であるところの『エモい』って言ってたのかなあ?」という言い方をするのではないでしょうか。それは私が源氏物語を読みながら「当時の人々はどんなふうにこの物語を享受していたんだろう」と想像するのと、同じように。

そんなとき、(『君の名は。』がヒットする前の、という稀少な!) 新海誠監督の作品の魅力について語る男性たちのことを、私はよく知っている。そして新海誠作品好きな彼ら(とくくるのも暴力的なのでありましょうが)は、自分自身のことについて、客観的な目線で批評することはない。だからこそ私は私の周囲に今いるであろう「新海誠好きの元彼」をアーカイブする価値があるのではないか、と感じたのです。同人誌という場で。webではなく、出版することで。なぜならそれは後世に残る価値が高いからです。

同人誌という場を選んだ理由

私は普段、商業出版で仕事をしています。商業出版は、版元の力を借ります。だからこそそこには権力がある。編集者とは、何を世に出して何を世に出さないか、ジャッジする機能があるのです。それは権力です。

だからこそ個人的に「うーん、“新海誠作品ファンの言葉”という受容をアーカイブしたいが、商業出版でやることではないな」と思っていました。

なぜなら私は新海誠作品のファンを権力をもって批判したいわけじゃない(そもそも批判したかったら誰より近い彼らに直接言えばいい話です……)。ただ彼らを生み出した作品を、彼らを描写することで、彼らと付き合っていた自分も含め、批評したいし、アーカイブしたいんだよなあ、と。

だからこそ同人誌という場を選ぼう、と思いました。

今回の企画の反省点

長々と趣旨を語ってしまいましたが、そんなわけで「新海誠好きの元彼の言葉たちを集める同人誌」の企画を考えたのでした。できるだけ皮肉っぽくできるように、アンケートを踏まえ、新海誠好きの元彼側の男性たちに集まってもらって座談会をする、そして自分の新海誠作品批評をおこなう、という目次構成を考えていました。

とはいえ、批判されている点はもっともだと思います。そもそも「新海誠好きの元彼」とジャッジして、それを笑う立場自体が暴力的である、という点はその通りだと私も考えています。

そもそも私は「新海誠好きの元彼」といった時点で「そんな彼と付き合っていた自分」を自虐する視線も含まれるものだと考えていました。

だからこそ例として「国語好きなところに興奮されていた気がします」というものを出した……のですが、これは伝わらない物言いだったな、ととても反省しています。

嗜虐も自虐もあり、でも付き合っていた思い出もたしかにあり、しかし別れた後のすったもんだもあり、そんな話も含めて「元彼」も「私」も痛み分けだよね、という構成にできたらいいなとぼんやり構想していましたが、そもそもタイトルから自虐部分の意図がまったく伝わらず、企画段階でこのような批判をいただいてしまうのは、私の力が及ばなかったところです。

私の伝え方が悪く、傷つけてしまったこと、心から申し訳ございませんでした。

私は以上のような企画趣旨から同人誌として世に出したい気持ちがあったので今回の企画を考えましたが、タイトルやアンケートの扱いも今一度自省し、同人誌を次回の文フリで出すのは辞めさせていただこうと思います。

というのも次回の文フリで出すにあたり、タイトルや出し方から考え直すのには、私のキャパシティが限界なのです。

同人誌を楽しみにしてくださった方、アンケートを書いてくださった皆様、そして同人誌企画によって傷つけてしまった皆様、本当に本当に申し訳ございませんでした。

とはいえアンケートを書いてくださった皆様はとてもとても(あえてこの言葉を使いますが)魅力的で素敵なエピソードを提出してくださったので、もう少し出し方を考えてみます。この度は本当に申し訳ございませんでした。


最後に、この点について。

「こんな新海誠好きの元彼がいてさぁ」とラベルを貼って括るとき、あなたとその人の、一人の人間と人間としてのかかわり、たしかにそこにあった大切なもの、がごっそりと抜け落ちる。もう別れたから大切なものなんてない? 笑い話にするくらいでいい? それはあまりにあんまりな考え方だと、私は思ってしまう。ねえ、あなたはいつもそんな軽い気持ちで人と付き合ってるんですか? ひょっとして付き合っている最中でさえ笑っていたんですか?

このご質問に関しては、当時は軽い気持ちで付き合っていたかもしれない、と言うほかありません……すみません。でも私は大学生くらいの頃、人と軽い気持ちで付き合っていたし、そのなかに楽しい思い出も苦い思い出もどちらもあったけれど、付き合ってる最中も(もちろん限度はあれど)笑い、そして笑われていたと思ってます。傷つけ、傷つけられ、それを痛み分けとするような関係を、私は交際だと思っているからです。それは「新海誠好きの元彼がいてさあ」という言葉で、さらに魅力的に語ることができる素敵な思い出だと思っています。ただその語りの真摯さがーーあなたに暴力的だと感じさせてしまうくらいにはーーまったく、足りていなかった。それが私の一番反省すべきところでした。

自分の批評に対する姿勢に対して、誰かが大切だと思う作品に対して、もう少し謙虚でいられるよう、真摯でいられるよう、努力します。

本当に申し訳ございませんでした。


いつもありがとうございます。たくさん本を読んでたくさんいい文章をお届けできるよう精進します!