2018.10.9 好きになってもらうという主体性
おはようございまーす!
きのうは先日より見始めたバチェラージャパン2を見始めたら止まらず、家で一気に見終えてしまった。
はーーーーーー。
授業の予習で読んだキーツ詩集の話してもいいけどそんな話してる場合じゃねえ!!! この世はバチェラー!!! キーツなんて読んでる場合じゃねえ!!! と朝っぱらから叫ぶバチェラー・ヤクザになってしまったので、今日はバチェラーの話をする。
しかしバチェラーの何が危ないって、スマホにイヤホンさえ差し込んでしまえば画面を見なくても垂れ流しにできちゃうところですね。気になったとこだけ画面に目を向ければいい。そんなん永遠に流しちゃう。寝ようと思ってラジオのように流しても寝ずに見ちゃう。おそるべしアマゾンプライム。
そんな私の心をわし摑んだバチェラージャパン2。Amazonが作っている番組(全10話)で、バチェラーと称されるイケメンが20人の美女の中から1人の結婚相手を見つけるためのランキング的ドキュメンタリー(?)。元々外国で有名だったらしい。日本ではシーズン2まで製作されている。
って書くとものすごく男女不平等なマッチョな世界観に聞こえるのだけど(そして実際に豪華客船に乗ったり花火を打ち上げたり基本的にめちゃバブリーな設定)、面白いのは、女性側に主導権がうつっているところ。
たとえばバチェラーに選んでもらうために女性はあれやこれやとデートを画策する。でもこれって日常では男性がするとされるように見えることなんですよ。
いつもありがとうございます。たくさん本を読んでたくさんいい文章をお届けできるよう精進します!