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『ハコヅメ~交番女子の逆襲~』とラブコメの文法

いま最も私が新刊を楽しみにしている漫画、それは『ハコヅメ』です。

大好き! 今年ドラマ化した話題をきっかけに読み始めたのですが、巻を追うごとにはまってしまいまして、今はもうすっかりキャラたちのファンです。みんな大好き….。

※ここで試し読みできる! 読んで!


で、作品として傑作なのはそれはそうなんですが、同時に「これは自分の好みの話である!」センサーががんがん鳴っていまして。なんで自分がこんなに好きなんだろう? ということを最近考えていたところ、思い至りました。

『ハコヅメ』の藤・川合の関係って、めちゃくちゃ(自分が好きなタイプの)ラブコメなんですよ!!! 

というわけで私は『ハコヅメ』、令和のラブコメ説を推したい。大真面目にラブコメを語るのですが許してほしい。


1.相補完成長ラブコメの法則

……アイドルソングみたいなタイトルつけてしまった。ラブコメといってもいろいろパターンはあると思うのだけど、そもそも私が一番好きで一番面白いと思っているパタは、「お互いの出会いによって能力/精神の成長を遂げて代替不可能な存在になる」構造なんですね。

①能力が低かったAは、Bと出会って努力するべき目標を発見し、能力的な成長物語を遂げる
②能力はこれ以上成長しようがないほど高いBは、Aと出会って生きる目的を発見し、精神的な成長物語を遂げる
①と②のの結果として、AとBはお互いなくてはならない代替不可能な存在になる

一見表向きはAの成長物語なんだけど、裏ではBの精神的な成長が遂げられており、その結果どちらにとっても不可欠なふたりだね……! ってなるのが一番美しいラブコメだと思う。私は。やっぱりラブコメは「(お互いにとって)あなたと出会ったおかげで私は成長できた」が一番だと思うわけよ。

こういうのはやっぱり時系列の長い物語を描きやすい漫画が強いですよね。具体的に言うと、『イタズラなkiss』(多田かおる、集英社)(別名ラブコメの神)は典型的なこれだと思う。一見、琴子が入江くんに追いつくための成長物語に見えるのだけど、実は裏では入江くんが琴子と出会って「頑張る目的」みたいなものを発見するんですよね。だからこそ入江くんには琴子が必要なわけです。多田先生はこのへんの文法を本当によく理解してらっしゃって、入江くんの「琴子が必要なのは俺だ」って言うシーンとか、神! と叫びそうになるね。

今年私がはまった『シティーハンター』(北条司、集英社)もこれで、一見シティーハンターとして成長するのは香だけに見えるんだけど。物語全部を読んでいくと、ちゃんと、いつ死んでもいいと思っていた獠が香と出会ったことで死にたくない理由を見つけて生き延びようとする方向に向かっている、ことが分かるんですよね。ああラブコメ。天才。

あとこの法則をちょっと捩じらせたのが『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子、講談社)で。物語としては、のだめの能力成長物語(千秋先輩と連弾、そののちコンチェルトしたい!)→千秋の精神的成長物語(のだめによって飛行機トラウマ克服)で終わりかと思いきや、その後もう一回、→実はまだあったのだめの精神的成長物語(千秋先輩とコンチェルト「を超えた」ピアニストとしての目標を見つける旅)が存在するんだよね。だからのだめってブコメとしてはある意味日本篇で終わっていて、海外篇は「のだめは千秋とのラブコメの結果としてじゃなく、ピアニストとして生きる動機を持てるか?」がテーマなわけです。

まあ挙げればきりがないですが、私はこの構造がしぬほど好きなので、本当にいろいろこのパターンを見てはきゅんときているわけです。「天才と凡人の恋」みたいなのってだいたいこれですよね。ラブ。


2.同性ライバルとラブコメ文法の相性の悪さ

で、このラブコメを同性同士でやるとどうなるかといえば、「AはBのほうを向いていない悲劇」みたいな話になって、ライバルだけどライバルじゃない関係になりがち。要はラブコメ的な「一緒に歩いていく」方向に向かわない。

たとえば、私も好きな『アマデウス』という映画。天才モーツァルトと凡人サリエリの物語。モーツァルトの才能を最も理解できるのはサリエリのみなのに、モーツァルトはサリエリのほうをちっとも見ないことに、サリエリは妬む。この話も、たぶんふたりが異性同士であれば、モーツァルトがサリエリと向き合うことで己の精神的なトラウマを克服できる話になった……のではないかと私は思うのだが(ラストでモーツァルトはその精神的な弱さゆえに物語から退場する)。同性だからか、サリエリは最後までモーツァルトを妬むし、モーツァルトはサリエリに救われることはない。ただ物語の最後の最後、レクイエムの作曲を通して、モーツァルトとサリエリは一瞬だけお互いを向かい合う。その一瞬だけ、ふたりはラブコメの両想い到達点みたいにお互いを補いあうことに成功する。「バカだったよ、ぼくはあなたに嫌われていると思っていた」、美しすぎる台詞で、はい、大好きです。でもこれも結局は一瞬のことで、モーツァルトは退場して終わる。

あとは完全に対等な同性ライバルものであれば、少女漫画ライバルものの金字塔『ガラスの仮面』(美内すずえ、白泉社)。天才マヤと努力家亜弓さんの話だけど、モーツァルトとサリエリとまではいかないにしても、亜弓さんが見ているほどマヤは亜弓さんをみていないと思うんですよね……(どうなんだろう、このへん異論あるかと思いますが私の感想です)。『アマデウス』よりはもう少しラブコメの文法に近い(つまり「お互いの足りないところを、出会ったことでお互いが発見する」物語)かとは思うのだけど。ライバルものだったらBLとか少年漫画でもありそう。

たぶんライバルというよりもこの「精神」と「能力」の差異を相補完するバランスって、異性恋愛関係だからわりとうまくいってて、同性関係となるとライバルになりやすいのかなあと想像する。ライバルとなると「能力」を競わなきゃいいけないから、「一方は最強だから精神面しか足りないところがないけれど、そこを相手によって補った!」という物語になりづらいのかなあ、と思っていたわけです。ライバルじゃなくてバディものだともうシャーロック・ホームズとワトソンみたいに、役割が固定していなきゃいけなそうだし……。(とはいえ私は少年・青年漫画にけっこう疎いので、知らないだけかも)。


3.『ハコヅメ』と同性職場ラブコメ物語

が!!!!! 『ハコヅメ』は!!!! 

藤・川合ペアで、この「相補完ラブコメ」を女性同士でやってくれたわけですよ!!!!!!

この新規性。つまりね、藤部長は、川合にとって同性の上司なわけです。ミス・パーフェクトな藤部長は、新任警察官である川合のペア長になる。そんなわけで一見『ハコヅメ』は川合の成長物語に見える。でも一方で、藤もまた藤でトラウマを抱えていて(桜ちゃんエピソード)、そこを解決しないと前に進むことができない。そして川合の登場によって進む藤の精神的時間。完全にふたりの関係性の変化が、1で説明してきたラブコメの文法(能力と精神の成長を出会いが生むやつ)に則っているのが分かりますか。

そりゃあ生命保険も託すよ!!!!!!!!!!!(18巻激重エピソード)(ネタバレ)

これ、同性だけど、上司部下という対等でない関係だからこそ生まれる物語なんですよね。「職場」っていう、その手があったか、と。職場でメンターだったら、そりゃ同性で能力値に差があっても嫉妬の方向にはいかないし。そしてバトルや部活ものでもないから、藤部長はパーフェクトであることができる。うまいことシティーハンター的な成長・精神の成長物語に向かってくれるのだ。

たぶん探せば、部活モノでこういう同性の先輩後輩ものでラブコメフォーマットの同性相補完成長物語ってある気がするけれど、私が読んできたなかでは本当に見つけられなかったんですよね。『ハコヅメ』は、ライバルではなくてラブコメの文法に従って、同性の恋愛関係でない上司部下を描いてくれたことが、私的にはとっても新しいと思った。ていうかそこが好き! 藤と川合、一生仲良くしててほしい。

やっぱり女性の社会進出が進んだからこそ、こういう「恋愛じゃないけど文法的には完全にラブコメフォーマットの同性同士の関係」を描くことができたのだなあ、と。たぶんBLやブロマンスの場だとあるあるなのかもしれませんが、女性同士で、特段百合とかいわず、こういう物語が出てきてくれたことが私は嬉しい。たぶん作者さん天然でこの関係性を描いてるんじゃないかなあと想像する。

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藤と川合の関係、か、かわいい~~~~。なんともいえん~~~。



おわりに―ローカルな警察モノとして

まあこう描くと、『ハコヅメ』が百合ものとして読めるみたいな話になっちゃうと思うけれど、『ハコヅメ』のいいところは藤・川合ペアだけではなくて、あの数々のキャラたちによる絶妙な関係性だと私は思うのですよね。源と藤のびみょ~~な感じとか、源と山田の男社会的な仲のよさとか、昌也と川合のちゃんと職場の微妙さを反映した男女関係とか、カナや牧高のあの距離感とか、みんな関係性の解像度が異様に高い。そしてその一例として藤・川合ペアが大好き。

警察官モノとしても、作中にも出てきているけれど『踊る大捜査線』的な、ある意味VS国家権力な大きな物語になっていた時代から、今はこういう、ローカルな男女差別とそれに伴うDV事件や家庭内虐待や介護の問題を扱う物語が主流になってゆくのもとても時代性を感じる。公的なものの役割って、大きな日本を守るだけじゃなくて、小さな福祉、そして治安を守ることだよね、みたいな風潮を反映しているようにも見える。

だからこそ、こういう作中の二人が男性社会でリアルに生きている藤や川合のような女性警察官が主人公であることが効いてくるわけですし。もう私はカナちゃんがとても好きなので、『アンボックス』に泣けてしょうがなかったですが……。作者さんがそういう現実にちゃんと地の足ついた方なんだろうなと。

いやはや、今後も楽しみな漫画です。ていうか人間関係はどこまで行くのだろう。こういう、「閉鎖的な空間の群像劇」を、警察モノで読めると思ってなかった。

いま無料キャンペーンやっているらしいので、お正月休みにでも、ぜひ読んでみてくださいー!



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