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見えなくてもおいしいものを食べてほしい

この1月に亡くなった母は昭和一桁生まれ。
特に料理好きという事はなかったし、凝った料理が出てきた記憶はなかったけれど、
まずいものが出てきた記憶もない。

叔母によると実は祖母が大変料理上手だったとの事。そっか、だから母も味覚が体に
叩き込まれていたんだ!

味が濃かったのは食糧難の時代、少しのおかずでコメをたくさん食べて腹を膨らませ
なければいけないという背景があったのかな。お弁当は茶色が基本で、他の友達のみ
たいに「映え」ないのが嫌だったけれど、決してまずかったという事はなかった。

でも、栗ご飯なんかは一つ一つちゃんと栗をむいて作ってくれた。手間がかかる割に
は食べるのは一瞬。
今、自炊をしているけれど、栗ご飯は出来合いの「栗ご飯セット」をコメに投入すれ
ばできる簡易なものしか作れない。もう二度と母の栗ご飯が食べられないと思うと寂
しい限りである。


そんな母は私が点字を習いはじめたり視覚障碍者の施設に出入りし始めると言った。
「目の見えない男の人なんか連れてこないでね。」

知らない故の偏見だ。
逆に他では私が同じことを言われているだろうなんてことは考えもしない。そしてこ
の言葉は一周回って私への侮辱だという事も考えが及んでいなかっただろう。

今後家族がこのような考え方だと私も生きにくいので、盲学校に入ってからは、クラ
スメイトをよく家に連れて来るようになった。

百聞は一見に如かず。優秀なリアル盲人に接してもらって、訓練さえすれば見えなく
てもたいていのことは自分でできる事を知ってもらおうと思ったからだ。

そして結局クラスの女子はほとんど私の家に来た(笑)

実際に接してしまえばなんてことはない。母も見えない友人たちにすっかりなじんで
ご飯もふるまってくれたりした。


全盲のYちゃんが来たとき、母がロールキャベツを作ってくれた。
彼女はおいしいとたくさん食べてくれた。そして曰く、
「ロールキャベツがおいしいなんて知らなかった」

一体いままでどんなロールキャベツを食べてきたのだろうか。


彼女はお母さんを早くに亡くした父子家庭。しかも小さいころから盲学校の寮暮らし
。好き嫌いが多く、寮でもふりかけをかけたご飯を食べていた印象がある。
そんな彼女、野菜は嫌いだと言っていたのに母が作ったロールキャベツのキャベツは
ちゃんと食べていた。


盲学校の寮の食事は一食予算300円。
まずいと言う人も多かったが私は外食しない限り前職おいしく食べていた。
予算が予算だから生姜焼きの肉が草鞋の様だったりしたが、栄養士さんは頑張ってい
た。

季節感を出すように、クリスマスやひな祭りはイベントメニューだったし、定期的に
生徒からリクエストも受けていた。

それでも寮飯には限界があったし、好き嫌い星人が多い盲学校の生徒は残していいと
なると食べてもくれない。


私は母の啓蒙のために見えない友達をとっかえひっかえ家に連れてきたが、図らずも
特にずっと寮生活をしてきた子たちに一食300円ではない家庭の味を味わう機会を作
っていた。
母もおばさんおばさんとなついてくれる若い子たちのために料理の腕を振るってくれ
た。


頑張ってはいるけれど、やはり大量生産の寮飯ばかりの毎日の中で食べた家庭の味は
きっと皆に元気をくれたに違いない。

「優秀な盲人を母に見せつける計画」が思わぬところに功を奏した。
意図せぬところに思いがけない影響があるなんて言う話はたまに聞くが、これもいい
方向でお互い影響しあえた例であろう。


ちなみに好き嫌い星人のYちゃん、その後皆で大分出身の友達の実家でおいしい野菜
をたくさんいただいて、嫌いだった野菜も克服するのである。

本当においしいものは、好き嫌いの壁を超えて元気の源になる。


外に出たらハンバーガーと一皿物しか食べられないなんて言っている視覚障碍者もい
るとか。ソフトクリームがうまく食べられない人もいるらしい。

食物アレルギーでかなり制限はあるけれど、私は食べたいときに食べたいものを食べ
たい。

目から入ってくるおいしそうな情報はないけれど、食べることは見えない人にとって
数少ない楽しみの一つなんだから、満喫しなきゃもったいない。

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